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東京都港区の歴史
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所在地 東京都港区芝公園2-1

江戸の夜の暗い町筋を照らしていたのは、辻々に設けられた常夜燈でした。これは、この付近の町にもあったろうと思われる、常夜燈を模造したもので、江戸の町の、夜のありさまをしのぶために設けられました。
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所在 東京都港区芝公園4-7-35 (増上寺)

 米国第18代大統領グラント将軍は明治12年(1879)7月国賓として日本を訪れ、増上寺に参詣し記念としてこの樹を植えました。

 General Grant the eighteenth president of the United States planted this Himalayan cedar when he visited Zojoji temple as a national guest in 1879.


所在 東京都港区芝公園4-7-35 (増上寺)

 米国第41代ブッシュ大統領が副大統領として昭和57年(1982)4月24日来日の際、増上寺に参詣し、記念としてこの樹(コウヤマキ)をお手植されました。

 This tree was planted by the forty first president GEORGE H.W.BUSH of the United States in memory of his visit to Zojoji temple in 1982 when he was a vice president.


所在 東京都港区芝公園4-7-35 (増上寺)

 「め組」とは江戸の町火消し(消防団)のことであり、増上寺門前の町火消しとして名を馳せた。その「め組」の消防活動の最中に命を落とした組員の供養のため享保元年(1718)に建立されました。


 Monument for the repose of the "Me-gumi" (Group "Me") dead

Built in 1718, it is for the memory of the dead who were the member of the firefighters group "Me" in the neighborhood of Zojo-ji Temple.


所在 東京都港区芝公園4-7-35 (増上寺)

 阿波丸は第二次世界大戦も終りに近い昭和20年(1945年)4月1日夜半台湾海峡で米國潜水艦クイン・フィッシュ号に不法撃沈された。

 同船は連合國側の要請に應じ日本軍占領の南方諸地域に抑留されている捕虜および民間人に對する救恤品の輸送に當っていた。

 國際法でその安全が保障されていたにもかかわらず、この悪魔のような所業により遭難者の数は二千有餘名、世界史上最大の海難事故となった。

 加害者に對する責任の追及や賠償交渉も進まないうち、同年八月わが國は無条件降伏し、軍政下の日本政府はなぜか事件の眞相を究明せず、米國に對する賠償請求權を國會の決議として放棄した。

 いまや平和の時代となり、經齊は復興したが戰爭の悲惨と虚しさは私たちの胸を去らず、歸らぬ人のことを思ひ續け悲しみを懐いて三十餘年、事件の謎は今なほ解けず、船體の引揚げ遺骨の拾集も實行に移されないままである。

 三十三回忌に當り、悲憂を文に訴へるとともに、法要の心とするものである。

  昭和52年(1977年)4月1日 阿波丸事件犠牲者 遺族一同



 犠牲者等の遺骨は中国の手により引揚げられ、日本政府派遣の遺骨受領訪中団に引渡された。
阿波丸遺族会代表はこれに参加し、かつ分骨をうけ、納骨法要を営んだ。遺骨の拾集は遺族の35年の永きに渉る悲願であり、これが実現に尽力された中国の関係者に対し、哀心より感謝をおくる。

 昭和54年(1979年)7月5日 納骨
 昭和55年(1980年)4月1日 納骨
 昭和56年(1981年)5月29日 納骨

                 阿波丸遺族会


所在 東京都港区芝公園4-7-35 (増上寺)

 浄土宗は、終戦直後の昭和21年(1946)、国は焦土と化して、身も心も路頭に迷う人々に心の安らぎと生きる希望を与える教化活動として、時の浄土宗教学部長吉永智承師を中心に、古くて新しい詠唱、浄土宗吉水講をこの地増上寺境内に開きました。

 第一回詠唱講習会が、松濤基導師、鈴木錦承師を講師として総本山知恩院に於て開催されたのが同年7月であります。詠唱教化の道が開かれましたが、奇しくも翌昭和22年(1947)12月に浄土宗に宗政の変動が起こり、詠唱教化の道は停滞したかに思われました。しかし、幾度の困難を乗り越えて、詠唱は政治を超越し、念佛教化の道として受け継がれ、昭和26年(1951)9月、曽和探玄師、花木順導師、知足圓明師、池上霊心師を中心に知恩院吉水講が産声を挙げました。

 
増上寺吉水講は、昭和55年(1980)年善導大師1300年遠忌を記念して、第一回詠唱大会を開催することができました。その後毎年御忌奉納を続け、念佛の助業としての詠唱は、燎原の火の如く、関東中部、東北、北海道一円に弘まり、寺院を中心に吉水講の集いが結成され、新しい念仏信仰が盛り上がり、今日の浄土宗吉水講の発展に大きな原動力となりました。これは松濤基導師、菊地謙雄師、故北山良祐師、故鈴木錦承師、故曽我晃也師及び詠唱指導普及委員諸先生の御尽力の賜であり、講員一人一人の地道な活動と熱意にほかなりません。

 このたび増上寺吉水講20周年記念大会を開催されるにあたり浄土宗吉水講の記念事業として、「詠唱発祥の地」と題し、浄土盟主中村康隆猊下吉水講総裁の御染筆を戴き、ここに記念碑を建立することができました。先徳の主旨を受け継ぎ、吉水流詠唱を通じ念佛教化の道が全国に弘まることを念願するものであります。

 平成14年(2002)4月2日 浄土宗吉水講


所在 東京都港区芝公園4-7-35 (増上寺)


今日もまた
  南無阿弥陀仏と
    すかりなは
  導き受けて
    日日に新たに

          山主 仁誉 詠


所在 東京都港区芝公園4-7-35 (増上寺)

 魚がしに会社を起こし、水産物を商って37年ひたすら業界の発展と社会への貢献を志し、困難を克服して現在に至った足跡を顧みるとき、感慨ひとしお無量なるものがある。

 今日あるは、水産物とりわけ魚類のおかげであることに思いをいたし、深い感謝をこめて、ここに魚供養碑を建立するものである。

 願わくは、生業を同じくする人々よ、しばし歩みをここにとどめ、彼らのために感謝の祈りを捧げられんことを。

 昭和60年(1985)3月8日 千代田水産株式会社


所在 東京都港区芝公園4-7-35 (増上寺)

熊野三所大権現宮
      (ゆやさんしょだいごんげんぐう)

 増上寺鎮守中最大なものとして、本殿拝殿あり、大きさ不明なれど東照宮に次ぐものなりと云う緑山志によれば、火災ありしも、明暦以来焼けたる事なし。




 < 御神体 >

三本足の烏 八咫烏やたがらす

 『神々のお使い』

日本書紀によると
 神武天皇が天下統治のため紀の国(和歌山県)の熊野に上陸した際に、東征中の荒れすさぶる中で道に迷った時、日輪の中の天照大命より「天から八咫烏やたがらすを使わそう。その八咫烏が道案内をするであろう。八咫烏の飛びゆく後ろに付いて行きなさい。」というおさとしがありました。
そうして無事山越えを出来たという、まさに神のお導きという言い伝えが残されています。



 『日輪の中に三本足の烏』

 ルーツは中国で、太陽の中に三本足の烏が住む(おそらく黒点であろう)と考えられ、太陽は烏によって空を運ばれるとも考えられました。
 烏の足を三本とするのは、二本足は陰数の為、陽の数である『三』こそが太陽にふさわしいと考えられます。
 日本に於いても、三本足の烏が太陽の象徴であると伝わったと推測されます。
 また時代によっては、『地・仁・勇』或いは『天・地・人』を表すとも言われています。
 日の神、天照大神の子孫である天皇が三本足の烏と八咫烏が習合し、熊野の烏も三本になったものと考えられます。




 『シンボルマーク』

 天皇の即位の礼に立てられるのぼりの紋様には八咫烏が使われたそうですし、また天皇の礼服の紋章には、日輪の中に八咫烏の刺繍が施されているそうです。
 近日身近なところでは、サッカー日本代表が着ているユニフォームの胸に付いておりますマークも八咫烏です。すなわち日本サッカー協会のシンボルマークとして用いられております。
 日本サッカーの成長と勝利への導きを願っております。
 私共大本山増上寺みこし講も、昭和49年(1974)に発足当より八咫烏を代紋とさせて頂いております。お祭りの御神輿を通じて、結集した四百余名が大本山増上寺より護国豊穣、天下泰平を導いて頂きたいと祈願しております。このたび、みこし講発足30年を記念して熊野神社(境内)修復改修工事をさせて頂きました。今回の工事の際にみこし講の大柱の前に、この水舎に向って三箇所の烏の足跡(保存有)が付いていたという縁起のよい事がありました。当熊野神社にも本物の八咫烏がいると信じていこし講一同も八咫烏のお導きを頂いてより高い志をもって、一層の努力を心掛けてまいります。
 皆様のご多幸とご発展をお祈りいたします。

    大本山増上寺 熊野みこし講
      
         世話人  




 熊野本宮大社  家津御子大神けつみこのおおかみ

 熊野那智大社  大己貴命おおなむらのみこと

 熊野速玉神社  伊弉諾尊いざなぎのみこと

 以上の三御神体を祀り、故綿貫次郎翁のご指導により
「大本山増上寺熊野ゆやみこし講」を起こし、護持・奉賛しております。
祭禮は毎年3月3日に古式にのっとり行われていましたが、近年は4月第3日曜日に定まる。


所在地 港区芝公園2-3

 明治初期の地方制度は、改正がくり返され、東京の行政区域はなかなか定まらなかった。

 そうした中で、明治十一年(1878)七月二十二日、わが国地方自治制度のもとを作った郡区町村編成法が発布された。

 これにより、同年十一月二日、東京には十五区六郡がおかれ、芝区が誕生した。

 その時、この安養院に最初の芝区役所が設けられ、十一月四日に開庁し、初代区長に相原安次郎が任命された。当時の芝区は桜田・三田・白金・高輪の地域で、戸数14,757戸、人口58,861人であった。

 芝区役所は、その後愛宕町に移り、さらに大正十五年(1926)に現在の港区役所の位置(芝公園1-5-25)に移った。

 なお、芝・麻布・赤坂区は、昭和二十二年三月十五日、統合されて港区となった。

  昭和四十九年一月
              東京都港区教育委員会




所在地 東京都港区芝公園4-7-35 (増上寺)

 重要文化財
  
三解脱門(三門)
       大正4年(1915)3月26日指定

 慶長16年(1611年)、徳川家康公の助成により、幕府の大工頭・中井大和守の配下によって建立され、元和8年(1622)に再建されました。
 略称を三門といい、貪欲・瞋恚・愚痴の三悪(三毒)を解脱するという意味からこの名があります。
 間口・十間余(約19m)、奥行五間(約9m)、高さ七丈(約21m)の二層建てで、左右に三間(5.4m)の山廊を有している三解脱門は、東京都内最古の建築物であるだけでなく、東日本最大級の大きさを誇っています。  
 入母屋造りの建築様式で朱漆塗りの三解脱門は、増上寺が江戸の初期に造営された当時の面影を残す唯一の建造物として、国の重要文化財の指定を受けています。
 様式は、組み物などは唐様を中心とし、勾欄などに和様、天竺様が加味されている。桜内には慶長から元和年間にかけて京仏師によって作られた釈迦三尊像、十六羅漢像などが安置されている。


  San Gedatsu-mon Gate(Three-deliverance gate)

"San Gedatsu-mon Gate" was built in 1622. It is not only the oldest construction in Tokyo but aiso the biggest class architecture in East Japan. The vermilion-lacquered gate in Iriomoya-zukuri styale is designated as one of the important cultural properties of Japan as the only construction which looks just as it did in the old days whwn the temple was built in early Edo period.
"San Gedatsu-mon Gate"(three-deliverance gate) means the gate to break away from three worldly desires namely "greediness,""anger,"and"foolishness."


所在地 東京都港区芝公園4-7-35 (増上寺)

 港区登録有形民俗文化財
  四菩薩像
     平成10年(1998)4月9日登録

 向って左から

文殊菩薩(もんじゅぼさつ)<卯年守本尊>

虚空蔵菩薩
(こくぞうぼさつ)<丑寅守本尊>

地蔵菩薩
(じぞうぼさつ)<子育地蔵>

普賢菩薩
(ふげんぼさつ)<辰年守本尊>

 の四体の菩薩像は、この場所の北西、現在の正則中学校あたりにあった地蔵山に東に向けて安置されていたもので、道を隔てて東側にあった観音山に西向きに安置された西向観音像(港区文化財)とともに向き合って街道を見下ろす形をとっていました。足利成氏が建てたとも、北条時頼が建てたとも、正嘉2年(1258)に土地の人が真言僧に建てさせたともいわれています。


所在地 東京都港区芝公園4-7-35 (増上寺)

 元は清揚院(3代将軍徳川家光の3男・6代将軍徳川家宣の父、甲府宰相綱重)の御霊屋にあった建物です。綱重は、延宝6年(1678)に逝去し、初め小石川伝通院に埋葬され、家宣の代に増上寺に改葬されました。御霊屋は増上寺本堂裏手に営まれていましたが、昭和20年(1945)の東京大空襲により他の御霊屋の建物とともにそのほとんどが焼失しました。
 この水盤舎は綱重の御霊屋建築の内、現存する唯一の建物であるとともに、徳川家霊廟の建造物として現存する数少ない遺構として貴重なものです。
 平成13年(2001)2月14日 港区文化財総合目録登録
 港区教育委員会



 清揚院殿(三代家光の三男、甲府宰相綱重)の御霊屋にあったもの。
 水盤舎はお参りする前に、この浄水で口をすすぎ、手を洗い、心身を清めるためのもので水鉢には「洗心」などの銘が刻まれていることがある。柱には、水に縁のある建物の特徴として、波を形どった刻り物がある。



所在地 東京都港区芝公園4-7-35 (増上寺)

聖観世音菩薩

ホテルニュージャパン罹災者のみたま
   とこしえに安からんことをお祈りして


所在地 東京都港区芝公園4-7-35 (増上寺)

 この聖鋏観音像は、昭和56年(1981年)8月3日、国際美容協会会長・山野愛子が願主となって、大本山増上寺境内のこの地に建立、開眼された。
 願主の一生がハサミに支えられ、お陰によって生かされたことへの深い感謝と、ハサミの中にみる己れを滅して他を整え美しくする働きを、観音様と拝む心とによって聖鋏観音像造立を発願。併せて美容はもとより、ハサミにかかわりのあるすべての人々の心の依り処となり、お守りとなるよう願われて奉造された。
 聖鋏観音像は、彫刻界の長老北村西望氏の制作である。
 毎年8月3日を「ハサミの日」と定め、この世におけるつとめを果たし終えたハサミをあつめてこの塚に納め、ハサミ供養法要が厳修される。

 ハサミは観音菩薩の
     御手そのものである。

                     徹誉大僧正


所在地 東京都港区芝公園4-7-35 (増上寺)

 港区登録有形民俗文化財
  西向観音像
     平成10年(1998)4月9日登録



 西向観音は、現在三康図書館のある場所にあった観音山に西に向けて安置されていたもので、現在の正則中学校あたりにあった地蔵山に東向きに安置された四菩薩像(港区文化財)とともに、その間を通る街道を見下ろす形をとっていました。
 将軍家の菩提所である増上寺は格式が高く、庶民には近寄り難いところもありましたが、この像は安国殿に安置されている黒本像とともに多くの庶民の信仰の対象として今に続いています。
  平成4年(1992)3月30日 港区教育委員会



所在地 港区芝公園1-7~芝公園2-3 (増上寺)

        大門沿革碑板


大門ハ三緑山増上寺ノ総門ニシテ古来江戸名所ノ一トシテ人口に膾炙セリ慶長十年徳川氏増上寺創建ノ造営ニ係ル明治十一年十月東京府ニ寄附ラレタリシガ其ノ後東京市ノ管理ニ帰スルヤ芝公園内ノ施設トシテ保存ニ努メタルモ近年破損著シク永久保存ニ堪エザルニ至リシ為地元芝公園改戻期成会並ニ株式会社不動貯金銀行協賛ノ下ニ其ノ原形ニ則リ新タニ復興ノ業ヲ起シ茲ニ其ノ竣功ヲ見タリ依テ之ガ落慶ノ典ヲ行フニ方リ由来ヲ略記シ以テ後世ニ伝フ
   東京市

     昭和十二年十月
     昭和三十三年十二月 全國不動会 再板


所在地 東京都港区芝公園4-7-35 (増上寺)

 港区登録有形文化財(歴史資料)
  増上寺の大梵鐘
     平成4年(1992)3月30日登録

 椎名伊予吉寛が品川の御殿山で鋳造したもので、延宝元年(1673)に七回目の鋳造で完成したといわれています。高さ八尺(龍頭を入れると一丈、約3.3m)、径五尺八寸、重さ四千貫(約15t)といわれ、江戸時代の梵鐘としては東日本最大といわれています。時の将軍家綱(四代)の命により、奥方のかんざしなど多くの寄附を集めて江戸で初めて造られた鐘である。



今鳴るは 芝か上野か 浅草か

江戸七分 ほどは聞える 芝の鐘

江戸中へ 七分通りは 響くなり
      
   (※ 芝は増上寺、上野は寛永寺、浅草は浅草寺を示す。)

川柳にも詠われるほどでした。この大梵鐘は、木更津まで響いたといわれ、江戸庶民に親しまれ、多くの川柳を生んでいる。




  Dai Bon-sho (Big Temple Bell)

"Dai Bon-sho (the big temple bell)" suspended in the "Shoro-do(Belfry hall)" was made in 1673 after seven times of casting because of its size. It is the biggest-class temple bell in East Japan and is counted one of the three famous temple bells in Edo. The Senryu poem introduces those three famous temple bells as "The bell ringing now is whether the one in Shiba (Zojo-ji Temple),in Ueno (Kanei-ji Temple) or Asakusa (Senso-ji Temple)?"


所在地 東京都港区芝公園4-7-35 (増上寺)

港区有形文化財(建造物)
 鋳抜門(いぬきもん)
       
平成9年(1997)3月11日登録

 増上寺は徳川将軍家の菩提寺として、かつては二代秀忠の霊廟を中心とした南廟(現在のゴルフ場敷地)と六代家宣・七代家継の霊廟を中心とした北廟(現在の東京プリンスホテル敷地)があり、その華麗さは日光東照宮を凌ぐとさえいわれていたが、昭和20年(1945年)3月の東京大空襲によりその大半が焼失した。昭和33年(1958年)に実施された改葬により、徳川家の墓所は安国殿裏手のこの一画にまとめられた。
 
 増上寺の南西には九州の有馬や島津の藩邸があったため

西国の果てまで響く芝の鐘
 
てもさても諸国へ響く芝の鐘

などの句もあり、当時の江戸の人々の自慢も、実感を伴っていたことがうかがわれます。
  平成4年(1992)3月30日 港区教育委員会



所在地 東京都港区芝公園4-7-35 (増上寺)

  心と創造

学びの精神はいつの時代でも人を育み

人とともに歩んでいきます

その歩みの中で心豊かに

それぞれの人生を創造していきます

学びとは心の糧であり創造の源です

努力と研鑚 勇気と希望 自信と志 の象徴です

碑に刻まれた「心と創造」が

明日へ歩む子どもたちの人生の標となるよう

ここに努力の軌跡を残し

今 感謝の気持ちを込めて

学び具を奉納します



 子どもたちへ
 学べよ 努めよ 今がその時です


             平成16年(2004)2月吉日  
             練成会グループ


所在 東京都港区芝公園4-7-35 (増上寺)

  仏足石 
(THE STONE IMAGE OF BUDDHA'S FOOT)

 仏足石は仏の足うらの形(千輻輪相)を石に彫りつけたもの、インドでは仏像が刻まれる以前は仏足石や菩提樹などで釈尊を象徴的にあらわし、人々はこれらを仏として礼拝した。
 この仏足石は、当山第70世福田行誠上人の代、山内宝松院松涛泰成上人の発願により明治14年(1881)5月に建石されたもので、側面には仏像、経文、由来などが刻まれている。




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