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東京都港区の歴史
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所在地 東京都港区愛宕1-3-8

総本山智積院別院 摩尼珠山まにしゅざん 真福寺

御本尊  薬師瑠璃光如来やくしるりこうにょらい

 真福寺は京都市東山七条にある真言宗智山派総本山智積院の別院で、真言宗の宗務出張所が置かれているお寺です。

 大正19年(1591)中興照海上人が徳川家康公を慕って江戸へ出て、鉄砲洲に庵を構えたのが始まりで、慶長10年(1605)家康公より愛宕下に1360坪の土地を賜わり、開創されました。

 元禄年間(1688~1703)になると弘法大使四国八十八箇所札所詣りの信仰が盛んになり、宝暦年間(1751~1763)には御府内八十八箇所が定められ、真福寺も第六十七番札所として名を連ねています。

 このお寺のご本尊様は『薬師如来』、正しくは『薬師瑠璃光如来やくしるりこうにょらい』といい、そのお姿は、右手で人々に安らぎと勇気を、左手に持つ薬壺やっこで、病気の苦しみを除く請願を示し、『愛宕下のお薬師さん』と通称され、ご縁日には門前市を成す賑わいで、広く庶民の信仰を集めてきました。

 長い歴史の中で度重なる火災や震災などにより堂宇も焼失しましたが、大正から昭和にかけて再建された本堂や庫裡も老朽化が進み、平成7年(1995年)4月に近代的な『真福寺・愛宕東洋ビル』として再生され、宗団の東日本における拠点として活動しております。

          総本山智積院別院  真福寺



 <オランダ等使節宿館跡>

 幕府は、安政5年(1858年)、アメリカを初め、オランダ、ロシア、イギリス、フランスの五ヵ国と通商条約を結び、江戸の地には、外国の使節の往来がはげしくなった。この間、江戸における使節団の宿舎として、攘夷派浪士への対策、多人数が収容できるなどの理由から寺院が選ばれている。ことに港区内の寺院は、開港場と江戸を結ぶという地理的条件から宿舎に指定されるものが多かった。
 真福寺(真言宗智山派の東京別院)は、安政5年(1858年)3月から約半年間、オランダ使節の宿舎となり、以後、当寺は、短期間であったが、ロシアやフランスの宿舎にもなった。なお、当時の建物は関東大震災で焼失した。

   昭和50年(1975年)1月
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所在地 東京都港区愛宕1

 愛宕山は洪積層の丘陵地で、標高は26mである。頂上に愛宕神社がまつられ、江戸時代から信仰と見晴らしの名所としてにぎわった所である。

 愛宕神社の祭神は火の神(火産霊命 ほむすびのみこと)が中心で、江戸時代には幕府の保護もあり、多くの人々から火伏せの神として信仰されてきた。

 今日のように周囲に高層ビルが立つまでは、山頂からの眺望がすばらしく、東京湾や房総半島までも望むことができた。

 また、愛宕山には、男坂・女坂・新坂などの坂道があり、男坂は神社正面の八六段の急勾配の石段で、寛永年間に曲垣平九朗がこの石段を馬で上下したと伝えられる。

   昭和50年(1975年)12月 東京都港区教育委員会



所在地 東京都港区愛宕1-5-3

慶長8年(1603年)9月24日建立

 < 祭 日 >

大祭  9月23・24日(出世の石段祭り  隔年)

中祭  6月23・24日(千日詣り・ほおづき縁日)

小祭  各月24日(月次祭)



<主祭神>  火産霊命 ほむすびのみこと (火の神)

<祭 神>  罔象女命 みずはのめのみこと (水の神)  
         大山祗命 おおやまつみのみこと (山の神)
         日本武尊 やまとたけるのみこと (武徳の神)


 勝軍地蔵菩薩(勝運・出世)

 普賢大菩薩(辰・巳年の守り本尊)

 天神社(学業)




 <境内末社>

 太郎坊社(猿田彦神 さるたひこのかみ

 福寿稲荷神社(宇迦御魂神 うかのみたまのかみ

 弁財天社(市杵島姫命 いちきしまひめのみこと

 大黒天神祠(大國主命 おおくにぬしのみこと

 恵比寿神祠(事代主命 ことしろぬしのみこと



 愛宕神社は徳川家康公が江戸に幕府を開くにあたり江戸の防火・防災の守り神として将軍の命を受け創建されました。幕府の尊崇篤くご社殿を始め仁王門、坂下総門等を寄進され、祭礼等でもその都度下附金の拝領を得ておりました。また、徳川家康公のご持仏「勝軍地蔵菩薩」(行基作)も特別に祀られております。(非公開)

 江戸大火災、関東大震災、東京大空襲の度に焼失しましたが現存のご社殿は昭和33年(1958年)再建されました。寛永11年(1634年)三代将軍家光公の御前にて、四国九亀藩の曲垣平九郎盛澄が騎馬にて正面男坂(86段)を駆け上がり、お社に国家安寧の祈願をし、その後境内に咲き誇る源平の梅を手折り将軍に献上した事から日本一の馬術の名人として名を馳せ「出世の石段」の名も全国に広まりました。万延元年には水戸の浪士がご神前にて祈念の後、桜田門へ出向き大老井伊直弼を討ちその目的を果たした世に言う「桜田門外の変」の集合場所でもありました。

 海抜26mは都内随一の高さを誇り、桜と見晴らしの名所として江戸庶民に愛され数多くの浮世絵にもその姿を残しています。明治元年には勝海舟が西郷隆盛を誘い山上で江戸市中を見回しながら会談し、江戸城無血開城へと導きました。鉄道唱歌にもその名が残り春は桜、夏の蝉しぐれ、秋の紅葉、そして冬景色と四季折々の顔を持つ風光明媚な愛宕山として大変貴重な存在となっております。



 ほおづき市・羽子板市は浅草の市の先駆け、発祥の地として江戸時代の書「東都歳時記」にもその賑わいは記され、現在は6月の千日詣り、羽子板絵馬にその名残りをとどめています。

伊勢へ七度

  熊野へ三度

    芝の愛宕へ月まいり



 <年間神事>

 1月  元旦  歳旦祭
      7日  七草火焚き祭(七草粥授与)

 2月  節分  節分祭

 6月  23日  千日詣り・ほおづき縁日(二十四日共)
      24日  中祭式(夏越しの神事)

 9月  23日  出世の石段祭り(隔年)
           24日  大祭式

12月  大晦日  除夜祭・鏡開き式


 昭和20年(1945年)、尊攘義軍十烈士が敗戦の国を憂い山上にて自刃・玉砕、並びに二夫人がその後を追われました。現在も慰霊碑の前で御遺族、有志の人達の手により慰霊祭が行われています。

 佐藤一斎から影響を受けた西郷隆盛勝海舟江戸城無血開城前に城下を眺望。


所在地 東京都港区愛宕1-5-3 (愛宕神社)

 昔この愛宕の地に児盤水(又は小判水)と云う霊験あらかたな名水が湧き出ていました。承平3年(933年)、平将門の乱の時、源経基と云う人がこの児盤水で水垢離をとり愛宕様に祈誓をこめ神の加護により乱を鎮めたと云うことが旧記にのっています。然し現在では昔を偲ぶものとてありません。幸い都心にそびえ立つ録の名跡愛宕山にゆかりも深い児盤水の名をとどめ昔を偲び東京の新名所として御参詣の皆様に神のお恵みと心の安らぎを得ていただければ幸いと存じます。
  昭和51年(1976)如月 宮司 松岡岑男


所在地 東京都港区愛宕1-5-3 (愛宕神社)

 この石をなでると福が身につくといわれています。

  奉納  大矢根由雄


所在地 東京都港区愛宕1-5-3 (愛宕神社)

<御祭神>  猿田彦命(さるたひこのみこと)

 愛宕の太郎坊と古くから尊称され、天孫降臨の時、道案内をされた天狗様です。開拓、旅行等の守護神です。


所在地 東京都港区愛宕1-5-3 (愛宕神社)

<御祭神>  
  大国主命(おおくにぬしのみこと)
  事代主命(ことしろぬしのみこと)

 七福神の内の二神で福徳、延寿、善心、智恵、療薬を与える神様です。

  11月甲子 大国天祭
  1月10日  十日夷講
  10月20日  二十日夷講


所在地 東京都港区愛宕1-5-3 (愛宕神社)

<御祭神>  倉稲魂命(うがのみたまのみこと)

 福徳開運十種の神、衣食住、農工商の守護神として民間に信仰の厚い神様です。


所在地 東京都港区愛宕1-5-3 (愛宕神社)

<御祭神>  市杵島姫命(いちきしまひめのみこと)

 慶長15年(1610年) 安芸の厳島より勧請され音楽財宝、弁財の守護神です。
 社殿両壁には篤志家自筆奉納の昇竜降竜があります。


所在地 東京都港区愛宕1-5-3 (愛宕神社)

 万延元年(1860年)に水戸の浪士がご神前にて祈念の後、桜田門へ出向き大老井伊直弼を討ちその目的を果たした世に言う「桜田門外の変」の集合場所でした。


櫻田烈士愛宕山遺蹟碑 東京市長 大久保留次郎書

此ノ地ハ萬延元年三月三日昧爽水戸藩士斎藤監物 関鐵之介 佐野竹之介 黒澤忠三郎 大関和七郎 廣岡子之次郎 山口辰之介 森五六郎 岡部三十郎 鯉淵要人 稲田重蔵 杉山彌一郎 蓮田市五郎 森山繁之介 廣木松之介 増子金八 海後磋磯之介 薩摩藩士有村次左衛門等天下ノ為ニ幕閣ノ大老井伊直弼ヲ斃サントシテ勢揃ヲ為セル處ナリ
抑々櫻田事變ナルモノハ水薩ノ志士協力シテ井伊大老ヲ斃シ後直チニ京都ニ結集シ 至尊ヲ奉シテ天下ニ大義ヲ唱ヘントシタルモノナリ
金子孫次郎 高橋多一郎ノ二領首ハ機ヲ逸セス京阪ニ赴キシモ事ハ齟齬シテ薩兵来ラス終ニ金子ハ京都伏見ニ捕ヘラレ高橋ハ其ノ子庄左衛門ト共ニ大阪四天王寺ニ居腹
然リト雖モ斯ノ一擧遂ニ克ク三百年ノ幕府政治ヲ倒壊セシメ以テ皇政維新皇国興隆ノ新體制ヲ招来スベキ導火線タルノ偉功ヲ樹タリ
然ルニ世人櫻田門ノ史蹟ヲ知ルモ事前ニ於ケル烈士愛宕山上勢揃ノ事蹟ニ至ツテハ■トシテ之ヲ識ル者ハ殆ト殊ナリ吾人其ノ遺蹟ノ滅ニ歸セントスルヲ慨シ此ニ碑ヲ建テ来者ニクルアラントス

皇紀二千六百一年三月三日 建之
 櫻田烈士遺跡顕彰會長 三木哲次郎
 故貴族院議員 室田義之
 貴族院議員 徳富猪一郎
 財団法人多摩聖蹟記念會長 長尾欽
 芝區有志 茂又四郎介
 同 茂又幸雄
     大東文化學院教授文學士正四位 峰間信吉撰
     金子孫次郎孫法學士 金子榮一書

                                              山門

所在 東京都港区愛宕2-4-7

曹洞宗
 萬年
山 青松寺せいしょうじ



東京都指定文化財(旧跡)
 
井上金峨墓
     昭和27年(1952)4月1日指定

港区登録有形民俗文化財
 奴地蔵(槍持勘助墓)
     平成5年(1993)3月23日指定












 


所在地 港区愛宕2-1-1 (放送博物館)

 大正14年(1925)3月1日に芝浦の仮放送局から日本最初のラジオ放送された後、大正14年(1925)7月12日に愛宕山の東京放送局よりラジオ本放送が行われました。
 アンテナの鉄塔は東京名物となりました。初代総裁には後藤新平が就任。昭和3年にはラジオ体操も始まり、放送局は永く愛宕山のJOAKとして親しまれていたが、昭和14年(1939)に千代田区へ移転しました。
その後、昭和39年(1964)の東京オリンピック開催から昭和48年(1973)7月にかけて、段階的に渋谷へ移転しました。



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