忍者ブログ
東京都港区の歴史
×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。



所在地 港区芝大門1-12-7

 社伝によれば平安時代の中頃寛弘2年(1005年)に伊勢の内外両宮の御分霊をまつり鎮座されたといわれる港区内有数の古社である。
 毎年9月中旬には『だらだら祭』とよばれる祭礼がおこなわれ、江戸時代より現在まで生姜、千木箱、甘酒などが境内で売られていることでも地元とのつながりが深い。

 所蔵する文化財として、絵画では江戸末期の建部巣兆(こうちょう)の箱根詣図(絵本墨画淡彩)などがある。古文書では建武4年(1337)正月7日の足利直義御教書(あしかがただよしみきょうしょ)(勝利の祈祷を依頼したもの)、天正16年(1588年)7月24日の吉良氏朱印状がある。
  昭和53年1月 港区教育委員会

 

 
 
 境内には『力石(港区文化財)』、『銅燈籠(港区文化財)』、『句碑』、『御手水舎』、『貯金塚』、『生姜塚』などがあります。


港区指定有形文化財(絵画)
  長沢芦雪筆人物図 昭和56年(1981)10月24日指定
  紙本着色箱根詣図 建部巣兆筆 平成15年(2003)10月14日指定

港区指定有形文化財(彫刻)
  神楽面 付「神楽面目録」 平成3年(1991)10月9日指定

港区登録有形文化財(彫刻)
  神楽面 平成4年(1992)3月30日登録

港区指定有形文化財(古文書)
  足利直義御教書 昭和56年(1981)10月24日指定
  吉良氏朱印状 昭和63年(1988)10月26日指定
  伊奈半十郎忠治書状 平成5年(1993)9月28日指定

港区登録有形文化財(古文書)
  御定書 平成14年(2002)3月15日登録

港区登録有形文化財(古文書)
  別当・神主等申状 案 平成14年(2002)3月15日登録

港区登録有形文化財(歴史資料)
  銅燈籠 平成9年(1997)3月11日登録

港区指定有形民俗文化財
  
芝大神宮の力石 平成7年(1995)9月26日指定

港区登録有形民俗文化財
  め組の半鐘 平成6年(1994)3月22日登録
PR

所在地 東京都港区芝大門1-12-7 (芝大神宮)

貯金と災厄(昭和丗二年正月不動会建立)

 災厄は忘れた頃來るという 関東の大震災も亦然り 當時の惨状は言語に絶し東京は焼野原と化し政府は直ちに支拂猶豫令を布いた 然るに其中にあってひとり預金の全額拂戻しを断行し大東京の復興に多大の貢献をした銀行がある 其名を不動貯金銀行という 即ち牧野元次郎翁が頭取であった 其不動貯金銀行本店の當時の焼跡から出た欄稈破片二個は(関東大震災記念石天沼雄吉寄贈)之である

 倉は焼けても貯金は焼けぬ              



所在地 港区芝大門1-12-7 (芝大神宮)

 此の御手水舎は崇敬の念篤い氏子皆様の御芳志により今年の例大祭を期し9月11日に落成致しました。茲に謹で御礼申し上げます。
 様式は四本柱の外側に二本の柱が棟を支えている(之を棟持ち柱と云う。)神明造りを形どったもので全国でも稀に見る珍しいものです。

  用材  木曽桧
  水鉢  浮全黒御影本麿
  屋根  銅板葺

  昭和41年(1966年)9月吉日 芝大神宮


所在地 港区芝大門1-12-7 (芝大神宮)

 星野立子、星野椿、星野高士、三代句碑

そよりとも風はなけれど夜涼かな    立子

千年の神燈絶えず去年今年    椿

界隈のたらだら祭なる人出
     高士


所在地 港区芝大門1-12-7 (芝大神宮)

港区有形民俗文化財 
 芝大神宮の力石

     平成7年(1995)9月26日指定

 力石は重い石を持ち上げて「力競べ」や「曲持ち」を行った際に使用した石である。特に、江戸時代後期の文化・文政期には、職業的な力持ち力士による興行が行われるようになった。
 芝大神宮の力石は、「五十貫余」の切付とともに、「川口町 金杉藤吉」の名前がある。これは、明治時代に活躍した有名な力持ち力士のひとり、芝金杉川口町の山口藤吉(慶応三年生)、通称「金杉の藤吉」のことである。芝大神宮で力持ちの興行が行われた時、金杉の藤吉がこの石を片手で差し上げたと伝えられている。
 港区内には、全部で十四点の力石が確認されているが、こうした力持ち力士の伝承がともなっているのはこの芝大神宮の力石のみであり、都市の力石の民俗を知る資料として貴重なものである。
  平成7年(1995年)9月26日 東京都港区教育委員会


所在地 港区芝大門2-7-4

  御祭神 倉稲魂神 大宮能賣神 太田神
抑~当社は首尾稲荷神社と称し奉る 御鎮座地は武州江戸芝中門前2丁目 昭和47年(1972)1月住居標示により芝大門2丁目に属す
御創建は古く元禄9年丙子(1696)9月にして古文書によれば難病に悩みし住民田村三郎兵衛 夢枕に立たれし 稲荷大神の御神威により助命せることを深く奉謝し稲荷大神を勧請  首尾稲荷と申し上げた



 文化13年(1816)京都伏見稲荷大社より正一位の神階を授与された
 爾来 災禍消除 火難除 盗難除 商売繁盛 福徳円満 町内和合の守護神と崇敬者が多かった
 明治以降 伊藤 鏑木 木所の諸氏等の信仰篤くお社を奉護 大東亜戦争終結後 中門前2丁目町会にて祭祀を継承し今日に到る
 此の度 御社殿損傷著しきため町会役員相議り町内有志 崇敬者の芳志により御社殿竣工す
 昭和54年(1979)5月吉日
 芝大神宮 宮司 山田將夫 謹記


所在地 港区芝大門2-7

港区指定文化財(旧跡)
 尾崎紅葉生誕の地
         昭和57年(1982)10月30日指定

 『金色夜叉』などの小説で有名な作家、尾崎紅葉(本名徳太郎)は、慶応3年(1867)12月16日、芝中門前2丁目25番地(現在港区芝大門2丁目7番4号)にあった首尾稲荷神社のそばの家で、伊勢屋こと牙彫り師の尾崎谷斎(惣蔵)の長男として生れました。4歳のとき母を失い、芝神明町8番地(現在港区浜松町1丁目18番14号)母の実家荒木家に養われることになるまでこの地に住みました。
 17歳の時、日本最初の文学団体「硯友社」を結成して近代文学の先駆けとなり、18歳の夏からは増上寺境内の紅葉山からとって紅葉山人と号しました。明治36年(1903)10月30日没。35歳。小説集には『芝肴』の題をつけ、また、『男心は増上寺』と題する短編もあり、終生出身地の気風をよく現した人物でした。墓も港区の青山墓地にあります。
   囀りの下に小さき祠かな  紅葉
 昭和57年(1982)10月30日指定 港区教育委員会


所在地 港区芝大門1-1-3 (日本赤十字社 本社)

 日本赤十字社(にっぽんせきじゅうじしゃ)は、昭和27年(1952)に制定された日本赤十字社法によって設立された特殊法人。前身は、明治10年(1877)西南の役の時、佐野常民が結成した博愛社である。
 博愛社は傷兵の救護事業を始め、明治19年(1886)に旧麹町区飯田町4丁目、現在のJR飯田橋駅近くに病院を建てました。その年、日本は国際赤十字条約に加入し、翌明治20年(1887)に博愛社は日本赤十字社と名を改めました。明治27年(1894)、甲武鉄道 飯田町駅を建設する為、近隣(千代田区飯田橋4-5辺り)に移転しましたが、大正元年(1912)にここ芝大門に移転してきました。
 

所在地 港区芝大門1-12-7 (芝大神宮)


港区登録有形文化財(歴史資料)
 芝大神宮の銅燈籠
     平成9年(1997)3月11日登録


忍者ブログ [PR]
サイト内検索
アクセス解析
プロフィール
HN:
永山
性別:
男性