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東京都港区の歴史
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所在地 港区元麻布3-10-5 (龍澤寺)

 江戸が東京都改称されてから、その行政区画の変遷は繁雑を極めた。
 明治11年(1878)7月22日、郡区町村編制法が発布され、11月2日には、芝・麻布・赤坂など15区と荏原などの6郡が置かれ、町村会、区会を開設することになったが、これは近代地方自治史上、画期的なことであった。
 これによって、明治6年(1873)12月以来、この龍澤寺の堂宇を借りて設置されていた第2大区12小区の区務所は、明治11年(1878)11月4日から、麻布区役所として開庁し、初代区長には前田利光が任命された。
 なお、芝区・麻布区・赤坂区は昭和22年(1947)3月15日、統合されて港区となった。
  昭和49年(1974)1月 東京都港区教育委員会

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所在地 港区元麻布1 港区元麻布2


 源経基(みなもとのつねもと)などの伝説をもち、古来、植えつがれている一本松が、坂の南側にあるための名である。
  平成23年(2011)3月 港区


所在地 港区元麻布1-3-27

  一本松


江戸砂子によれば
天慶2年西紀939年ごろ六孫源経基平将門を征伏しての皈途此所に来り民家に宿す 宿の主粟飯を柏の葉に盛りさゝぐ翌日出立の時に京家の冠装束を松の木にかけて行ったので冠の松と云い又一本松とも云う
 注 古樹は明治9辰年焼失に付き植継
    昭和20年(1945)4月又焼失に付き植継



所在地 港区元麻布1-1-10 (大法寺)

港七福神
 大黒天
     麻布一本松大法寺



所在地 港区元麻布1-2-12 (賢崇寺)

 港区指定文化財(史跡)
肥前佐賀藩主鍋島家墓所
          昭和62年(1987)10月28日指定



 賢崇寺は、肥前佐賀藩主鍋島勝茂が、寛永12年(1635)疱瘡で死んだ嗣子忠直の菩提を弔うたまに忠直を開基として創建したお寺で、忠直の戒名「興国院殿敬英賢崇大居士」より、興国山賢崇寺と名づけられ、江戸における鍋島家の菩提寺となった。
 鍋島家墓所は、約千百㎡の範囲に画然として墓域を形成しており、開基忠直、初代勝茂、9代斉直、初代小城藩主元茂(忠直兄)とその夫人達など一族の五輪塔の墓が並んでいる。各墓へは、参拝用の門をもつ石造の格子状の垣を巡らして聖域を形作り、各門の前両側には石燈籠が配されている。門の扉は既に失われているが、江戸時代の有力な大名家の墓の形態をよく遺している。とくに、墓石のすべてが五輪塔に統一されていることは興味深い。
 勝茂の墓の裏には、勝茂の死に際して殉死した重臣たちの板石状の墓30基が整然と並んでいる。これは、殉死という江戸初期の武士の遺風を知るうえで貴重である。
 昭和62年(1987)10月28日 東京都港区教育委員会



所在地 港区元麻布1-5-17

 江戸幕府は、慶応元年(1865)4月から、プロシアの外交使節の宿舎として、芝日本榎の広岳院をあてていましたが、翌慶応2年(1866)3月、麻布仙台坂脇のこの場所にあった春桃院(現在は南麻布に移転)に移しました。
 神奈川(横浜)駐在のプロシア領事として来日していたマックス・フォン・ブラントは、慶応3年3月に日本駐在の代理公使に昇任し、江戸に出て幕府と交渉するとき、ここを宿舎とし、事務を執りました。そこで、ここが江戸におけるプロシア公使館となりました。
 公使館として使用された建物は、本堂続きの127坪(419.1㎡)および山寄りの51坪(168.3㎡)の建物であったという記録が残されています。
 昭和50年(1975)1月 (平成21年〔2009〕1月建替)
 港区教育委員会



所在地 港区元麻布1-6-21

浄土真宗本願寺派
麻布山 善福寺

ご本尊  阿弥陀如来



境内には『勅使門』、『ハリス記念碑(初代アメリカ合衆国公使館址)』、『逆さいちょう』、『開山堂』、『福澤諭吉墓』、『越路吹雪の碑』、『秩父宮妃の碑』、『柳の井戸』があります。


                   逆さいちょう


港区指定有形文化財(古記録)
 亜墨利加ミニストル旅宿記
       昭和56年(1981)10月24日指定


所在地 港区元麻布1-6-21 (善福寺)

     指定  大正15年(1926)10月20日
 イチョウ(銀杏・公孫樹)は、イチョウ科の落葉高木で、中国原産といわれている。雌雄異株で、神社や寺院の境内樹・公園樹・庭園樹・街路樹として広く植栽されている。4月に開花し、10月には種子(イチョウの実)は成熟して独特の臭気を放ち、黄葉する。
 この木は雄株で、幹の上部が既に損なわれているが、幹周りは10.4メートルあり、都内のイチョウの中で最大の巨樹である。樹令は750年以上と推定される。
 善福寺は、昭和20年(1945)の東京大空襲によって本堂が全焼した際、このイチョウの木にもかなり被害があったが、いまなお往時の偉観をうかがうことができる。
 根がせり上がって、枝先が下に伸びているところから『逆さイチョウ』ともいわれ、また、親鸞聖人が地に差した杖から成長したとの伝説から『杖イチョウ』の別名もある。
 平成2年(1990)12月27日建設 東京都教育委員会



  Giant Ginkgo-Tree of Zempukuji
 The empukuji Temple,founded in 824 by Kobo Daishi (founder of the Shingon Sect of Buddhism),was converted in 1232 to a sanctuary of the Hodo-Shinshu Sect,as the abbot of the temple,Saint Ryokai,became the follower of Shinran-Shonin,the founder of that sect.This sect claims salvation by faith in Amitabha,who is invoked by the prayer formula Namu-Amida-Butsu.
 The legend goes that on leaving the temple after teaching Abbot Ryokai the doctrines of his sect,Shinran shonin put down his sraff in the ground,saying that such was the manner in which the prayer formula was to be propagated and the manner in which the common mortal would come to his end.Soon the staff began to put forth buds and spread branched,finally growing into a stately ginkgo-tree.In1926 the tree was designated a "Natural MOnument"by the Government.Itmeasures nearly 10 meters in girth and 20 meters in height,perhaps it's the oldest of its kind in Tokyo,although its trunk was burnt and broken by an incendiary bomb toward the end of the last war.
(Erected in 1979 by theTokyoMetropolitan Board of Education)



所在地 港区元麻布1-6-21 (善福寺)

 開山堂ははじめ新婚集の蔵王権現として開かれたもので、古く麻布郷の鎮守であったと伝える。
 親鸞聖人のお立寄りによって浄土真宗に改宗した中興開山了海上人は、蔵王権現の申し子として大井(現、品川区)に生まれ、この像が堂内に安置されることになった。かつては堂前でさまざまな行事も行われていたが、戦災焼失後再建されて、今は唐京都の有形文化財となった。
 像とともに港区の有形文化財である、秀吉朱印状他の貴重な寺歴を物語る古文書等が収蔵されている。
   善福寺


所在地 港区元麻布1-6-21 (善福寺)

 当山の中門は古くから勅使門と呼ばれ、伝承によれば、文永の役(1274)で亀山天皇の勅使寺となったとき以来の命名とされている。
 寺院の門として最も重要な位置にあり、幕末のアンベール著の絵入り日本誌等に、その形が描写されていた。
 当時の火災は免れたものの、昭和20年(1945)5月25日戦災を受けて焼失し、昭和55年(1980)11月5日の再建によって、現在の形を再び現わした。
  善福寺



所在地 港区元麻布1-6-20先 (善福寺参道)

 自然に地下から涌き出る清水である。
 東京の市街地ではこのような泉が比較的少ないためか、古くから有名で、弘法大師が鹿島の神に祈願をこめ、手に持っていた鍚杖を地面に突きたてたところ、たちまち噴出したものだとか、ある聖人が柳の枝を用いて掘ったものであるとか、信仰的な伝説が語りつがれてきた。
 とくに現在のわれわれとしては、大正12年(1923)の関東大震災や昭和20年(1945)の空襲により大火災の際に、この良質な水がどれほど一般区民の困苦を救ったかを心にとどめ、保存と利用にいっそうの関心をはらうべきものと思われる。
 昭和49年(1974)1月 東京都港区教育委員会



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