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東京都港区の歴史
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所在 東京都港区芝公園4-7-35 (増上寺)


月かげの
  いたらぬ里は
    なけれども
  
ながむる人の
    こころにぞすむ



 観無量寿経に説く「光明は遍く十方世界を照して念仏の衆生を摂取して捨てたまわず」の意を法然上人がお歌に示されたものである。浄土宗の宗歌になっている。
  <寄贈  千代田水産株式会社>
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                                         増上寺大門
                                       
所在地 港区芝公園4-7-35

三緑山 広度院 増上寺

 明徳4年(1393)、浄土宗第八祖聖聡上人によって開かれた増上寺は、現在の千代田区紀尾井町にあたる「江戸貝塚」に創建され、室町から戦国時代にかけて、東国の浄土宗の要として発展してきました。


                      増上寺三解脱門(三門)(国文化財)

 安土桃山時代になった慶長3年(1598)、徳川家菩提寺として現在の芝の地に移されました。徳川家康公が江戸入府の際、当時の住職・善光観智国師存応大僧正に深く帰依されたのをきっかけに 徳川家康公の手厚い保護を受け隆盛を極めることとなります。増上寺には二代将軍徳川秀忠など徳川家6人の将軍の霊廟が設けられ、境内のあちこちに葵の紋が見られます。将軍家の菩提寺として、筆頭学問所として、浄土宗行政の中枢機関として、その揺ぎない地位を保ってきました。明治の新政府誕生までは、寺領一万石余り、二十数万坪の境内地、山内寺院四十八宇、学寮百数十軒、常時三千名の僧侶が修学する大寺院でした。


                                         増上寺大殿

 明治に入って二度の大火、そして昭和の東京大空襲と災厄に見舞われますが、昭和46年(1971)から4年の歳月をかけ、現在の壮麗な大殿を建立し、復興を果たしました。

 
           水盤舎(港区文化財)

 現在は、消失をまぬがれた三解脱門(三門)(国文化財)増上寺圓光大師堂(旧景光殿)表門(港区文化財)黒門(旧方丈門)(港区文化財)水盤舎(元甲府宰相綱重御霊屋水屋)(港区文化財)増上寺経蔵(東京都文化財)など古くからの建造物をはじめ、増上寺大殿安国殿圓光大師堂(旧景光殿)大梵鐘(港区文化財)徳川将軍家墓所2代将軍 徳川秀忠公(台徳院殿)・お江(崇源院殿)夫妻の墓所6代将軍 徳川家宣公(文昭院殿)墓所7代将軍 徳川家継公(有章院殿)墓所9代将軍 徳川家重公(惇信院殿)墓所12代将軍 徳川家慶公(慎徳院殿)墓所14代将軍 徳川家茂公(昭徳院殿)墓所14代徳川家茂公正室 静寛院和宮墓所、合祀塔]、鋳抜門千躰子育地蔵尊西向観音像(港区文化財)四菩薩像(港区文化財)貞恭庵大納骨堂佐瀬得所遺徳之碑聖観世音菩薩像水盤舎鋳抜門前の句碑写経塔勢至丸像法然上人歌碑仏足石筆塚弔魂之碑聖鋏観音孝於止碑魚供養之碑光摂殿前の歌碑詠唱発祥の地阿波丸の碑め組供養碑ブッシュ槙グラント松増上寺のカヤ(港区天然記念物)熊野神社土木建築殉職者慰霊塔、などが、約1万6千坪の広大な敷地の中にあります。
 また敷地外には大門旧台徳院霊廟惣門有章院霊廟ニ天門御成門松原
があります。

 

 現在でも浄土宗の大本山として宗教活動のほかに、文化的な活動も幅広く行われています。明徳幼稚園、三康文化研究所、三康図書館、静寛院宮奉賛会など。
 主な年中行事は、正月、5月、9月の毎15日に行なわれる黒本尊祈願会(ご開帳)、4月14日~16日の御忌法要、涅槃会、花まつり、施餓鬼会、十夜法要などです。



                                     増上寺と東京タワー

  Zojo-ji Temple

Zojo-ji Temple was established by Shoso-shonin,the eighth founder of jodo sect of Buddhism and located in Edo-kaizuka (Edo kitchen midden), present Kioi-cho, Chiyoda-ku. As the main and leading temple of the sect in the East,it hadbeen developed and expanded through the 15th century.
In 1598,Zojo-ji Temple was relocated to present Shiba area as the Tokugawa's family temple and prosperously developed under leyasu's great protection and care. Because of this,there are six mausoleums of Shogun including the second Shogun,Hidetada,and people can easily find the family crest"mallow"all over the temple.
Unfortunately two big fire in Meiji Period and aiso the Tokyo Air Raid in 1945 hit the temple. Four-years of restoration from 1971,however,made the present magnificent big shrine(O-den)built and revitalized the temple.
The old construction survived from the fire including the "San Gedatsu-mon Gate(Three-deliverance gate)" and "Kuro-mon Gate(black gate)" and many other constructions such as "Shoro-do(Belfly hall)" and "Yasukuni-den(Shrine to pray for the prosperity of the nation)" are located orderly in the vast premises of approx. 16,000 tsubo(approx.4850㎡ or 1.2 acre).


港区指定有形文化財(絵画)
  五百羅漢図(絹本着色)  昭和54年(1979)10月23日指定
  法然上人行状絵  昭和59年(1984)10月15日指定
  涅槃図(紙本着色)  平成2年(1990)10月24日指定

港区指定有形文化財(彫刻)
  木造僧形坐像  平成20年(2008)9月9日指定

港区指定有形文化財(古文書)
  増上寺所蔵文書  平成元年(1989)10月25日指定
  増上寺十三世正誉廊山自筆 涅槃図置文 平成11年(1999)10月12日指定
  源誉存応関係文書  平成19年(2007)10月23日指定

港区指定有形文化財(歴史資料)
  徳川家霊廟天井板  平成17年(2005)10月25日指定


所在 港区海岸1-1 港区東新橋1-10

 都指定旧跡
江川氏調練場跡

 伊豆韮山で反射炉を造った江川太郎左衛門は、天保12年(1841)芝新銀座に「高島流洋式砲術教授」の教場を設けました。入門するもの千人余り、佐久間象山・橋本左内・桂小五郎・川路聖謨等130余藩の士が集まり、幕府維新に活躍した多くの人材を輩出しました。





所在地 東京都港区浜松町2-9

 当社は、讃岐小白の両稲荷を合祀しています。

 

 御創建は、江戸時代の文政の頃、書上によれば今より約200年前になります。

 讃岐社は、四国の高松藩の大名である松平氏の下屋敷の邸内社として御鎮座し、明治維新以降に芝新網町に開放されたといわれている。

 一方、小白社は、芝湊町(現浜松町2-13)古川際辺りに御鎮座しており、昭和13年(1938年)の区画整理の為協議の上当社に合わせ祀られた。



 御祭神は、倉稲塊神(お稲荷様)で、生成発展の守護神とともに火伏せの火神として古来より崇敬をあつめています。

     平成16年(2004年)5月15日
          讃岐小白稲荷神社 宮司 勝田勇



所在地 港区浜松町2-9 (讃岐稲荷神社・小白稲荷神社)

港区登録有形民俗文化財
  力石
      平成6年(1994)3月22日指定

 江戸時代 文化文政年間(19世紀前半)この辺りは芝新網といわれ幕府公認の網干場となり漁師・職人など町衆が住む地域でありました。当稲荷神社の祭礼には境内で「かっぽれ踊り」「浪花節」などの庶民芸能が繰り広げられ また力自慢のつわものが集い 町人衆目の中で盛んにこの力石を担いで互いに力を競いあったものです。老若男女の声援が聞こえてくるようです。
 当時の娯楽の一端が偲ばれ 後世にこの事柄を伝承して参りたいと存じます。
     平成16年(2004年)5月大祭 讃岐小白稲荷神社


所在地 港区芝1-12-12

日蓮宗
 松流山 正伝寺(正傳寺)
しょうでんじ



 正伝寺境内には『大毘沙門天』があります。


所在地 港区芝1-12-12 (正伝寺)

 毘沙門様は、法華経を信じ行ずる人々を守護する誓いを立てた神様です。
 当山の毘沙門様は伝教大師作と伝えられ久遠成院日親上人によって開眼されました。江戸期には目を見張る程の活況を呈し、上は江戸城大奥から広く庶民の下々まで信仰を集めた「江戸三大毘沙門」の一角です。



 現在でも、正月・5月・9月の初寅の日には御開帳と御祈祷が行われております。


所在地 東京都港区芝公園2-12 (瘡守稲荷神社)

港区指定有形文化財(歴史資料) 
  元禄七年銘 納経石塔
   
      平成12年(2000)10月24日指定

 前面右側に観音菩薩、左側に不動明王の二尊を浮彫りにした石塔で、元禄7年(1694年)に造立されたものです。この時期の石造物としては比較的大きく、観音菩薩・不動明王の二尊像は、ほとんど風化せずに良く残っています。



 背面にはこの石塔の由来を示す136字からなる銘文が刻まれています。それによると、元禄6年(1693年)に大蔵経を納める経蔵の蔵司の居処を定め、その地を譲るために蔵司の発願で翌年この石塔を造立したことがわかります。このように、この石塔は増上寺への納経に関わって造立された石造物として貴重なものです。



  背面銘文

武州増上教寺者浄家十八叢林冠首幕下将軍累世帰依之霊場場也
東照神君家康公命近臣今納三大蔵経矣元禄六癸酉■秋■貞譽大和尚通宮家以此地永須辨職蔵司者為居虜也余有■願彫刻於観世音不動明王之石像擁護遐代祈祈の之頌

   示現二尊雄 眞心法界宮
   譫敬離悪趣 福寿垂無窮
  元禄七甲戌歳2月28日 三緑山蔵司 自信謹詰

     平成12年(2000年)10月24日 港区教育委員会


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