東京都港区の歴史
× [PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。 所在 東京都港区芝公園4-7-35 (増上寺) 阿波丸は第二次世界大戦も終りに近い昭和20年(1945年)4月1日夜半台湾海峡で米國潜水艦クイン・フィッシュ号に不法撃沈された。 同船は連合國側の要請に應じ日本軍占領の南方諸地域に抑留されている捕虜および民間人に對する救恤品の輸送に當っていた。 國際法でその安全が保障されていたにもかかわらず、この悪魔のような所業により遭難者の数は二千有餘名、世界史上最大の海難事故となった。 加害者に對する責任の追及や賠償交渉も進まないうち、同年八月わが國は無条件降伏し、軍政下の日本政府はなぜか事件の眞相を究明せず、米國に對する賠償請求權を國會の決議として放棄した。 いまや平和の時代となり、經齊は復興したが戰爭の悲惨と虚しさは私たちの胸を去らず、歸らぬ人のことを思ひ續け悲しみを懐いて三十餘年、事件の謎は今なほ解けず、船體の引揚げ遺骨の拾集も實行に移されないままである。 三十三回忌に當り、悲憂を文に訴へるとともに、法要の心とするものである。 昭和52年(1977年)4月1日 阿波丸事件犠牲者 遺族一同 犠牲者等の遺骨は中国の手により引揚げられ、日本政府派遣の遺骨受領訪中団に引渡された。 阿波丸遺族会代表はこれに参加し、かつ分骨をうけ、納骨法要を営んだ。遺骨の拾集は遺族の35年の永きに渉る悲願であり、これが実現に尽力された中国の関係者に対し、哀心より感謝をおくる。 昭和54年(1979年)7月5日 納骨 昭和55年(1980年)4月1日 納骨 昭和56年(1981年)5月29日 納骨 阿波丸遺族会 PR |
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永山
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