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東京都港区の歴史
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所在地 東京都港区西新橋1-3 (新日本石油ビル) 

 この像は、エネルギーの安定供給をその社会的使命として歴史を刻んだ日本石油が、昭和63年(1988年)5月創立百周年を迎えたことを記念し、全国特約店各位より寄贈されたものである。新世紀への第一歩をしるすにあたり最もふさわしいものをとの願いから『人類に火を与えるプロメテウス像』が題材に選ばれ、文化功労者 日本芸術会員 富永直樹氏の手により制作されたものである。
  1988年12月  日本石油株式会社

※現在このプロメテウス像は千代田区大手町に移されています。

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所在地 港区西新橋3-25 (東京慈恵会医科大学附属病院)

港区指定文化財(史跡)
 看護婦教育所発祥の地   
          平成11年(1999)10月12日指定



明治17年(1884)10月東京慈恵会醫科大学学祖高木兼寛米人リード女史ヲ聘シ有志共立東京病院構内ニ看護婦育成ノ業ヲ興ス。是本邦斬斯界ノ靉靆タル曉雲ニ赫耀ノ配セルヲ觀ルニ庶シ。
創始ノ百歳ヲ記念シ此碑ヲ建ツ。
        昭和59年(1984)10月
           東京慈恵會會長 名取 禮二


所在地 港区西新橋2-10-13 (南桜公園)

 南桜公園の周辺は、江戸時代には多くの大名屋敷があった場所で、幕末には老中の堀田正睦の中屋敷でした。江戸時代の大名屋敷地には、町名はなく明治5年(1872)に南佐久間町2丁目となり、その後の昭和7年(1932)に田村町3丁目と改称されました。現在の西新橋2丁目となったのは昭和47年(1972)のことです。
 また明治時代からこの一帯は、日本でもっとも早く西洋家具の製造が行われた場所であり、高級家具の『芝家具』の名で全国に知られていました。
 公園やこの周辺の『南桜』の名称は、江戸時代以前にこのあたりから北方に桜田村があったことから南桜といわれたようです。



 公園の設置は、昭和4年(1929)に関東大震災の帝都震災復興事業により小学校に隣接して開設され、昭和25年(1950)に東京都から港区に移管されました。その後、桜小学校の廃校などを経て、面積を拡大して都市計画決定された街区公園として、平成14年(2002)から再整備を開始しました。この公園の中には、かつての小学校の名残である、二宮尊徳像や石碑、石段などを移設し、サクラなどの大きな樹木を残してあります。
 「御府内往還其外沿革図書」から編成(文久2年〔1862〕)



所在地 港区西新橋3-14-3

真言宗智山派 鏡照院



 摂末社 末廣稲荷


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