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東京都港区の歴史
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所在地 港区麻布台1・港区六本木



双方から行合う道の坂であるため行合坂と呼んだと推定されるが、市兵衛町と飯倉町の間であるためか、さだかでは。
        平成21年(2009)2月     港区


所在地 港区麻布台1



我善坊谷へ下る坂で、赤坂方面から往来する人が、行きあう位置にあるので、落合坂と呼んだ。位置に別の説もある。
         平成9年(1997)9月     港区


所在地 港区麻布台1-4-6

 横川省三記念公園

勲五等
横川省三 岩手県盛岡市出身 行年四十歳 同行国士
勲五等
沖禎介 長崎県平戸市出身 行年二十八歳 同行国士

 同行国士
勲六等
脇光三 滋賀県彦根市出身 行年二十四歳
松崎保一 宮崎県宮崎市出身 行年三十歳
中山直熊 熊本県熊本市出身 行年二十四歳
田村一三 宮崎県宮崎市出身 行年二十二歳

寄贈者
横川省三遺跡保存会世話人代表吉澤照英司・吉澤てる(故黒川茂隆長女)
 平成3年9月吉日補修



此ノ地ハ明治37,8年戦役ニ際シ特命ヲ帯ヒテ敵地深ク侵入シ北満ノ野ニ於テ國難ニ殉シタル志士横川省三氏力寓居ノ遺阯トシテ知ラレタリシカ同氏ノ赫々タル英名ヲ永ク追慕シ其ノ光輝アル舊蹟ヲ後世ニ傳ヘンカ為ニ地元横川省三遺跡保存會代表者黒川茂隆氏ハ之ヲ本市公園用地トシテ昭和12年12月附近ヲ併セ120餘坪ノ地ヲ寄附セラレタリ本市ニ於テハ寄附者ノ厚意ヲ享ケ英霊ヲ偲フ記念公園トナシ諸施設ヲ完了シタルヲ以テ茲ニ開園ニ臨ミ夾歴ヲ敍シ以テ地元ノ芳志ヲ銘記ス

 横川省三略傳
明治37,8年戦役ニ特別任務ヲ帯ヒ北満ノ野ニ壮烈ナル最後ヲ遂ケタル忠士横川省三君ハ南部盛岡ノ人ナリ歳甫メテ十九東京ニ來リ自由黨ニ投シ後操觚界ニ入リ雄健ノ筆ヲ以テ盛名ヲ謳ハレシカ明治30年移民開拓ノ為北米ニ航シ34年歸朝ス偶暗澹タル日露ノ風雲ニ際會シ敵状探知ノ重命ヲ荷ヒテ北京公使館嘱託トナリ日夜東奔西走スル事3年時恰モ明治37年2月 大詔下ルヤ輙テ擢テラレテ敵後方輸送路遮断ノ命ヲ拝シ嫩江鐵橋爆破ニ赴キシカ遂ニ敵兵ノ為ニ捕ヘラレ4月21日同志沖禎介ト共ニ哈爾賓ニ於テ銃戦セラル
君ハ性剛恬淡ニシテ機略アリ身軍籍ニ非ルミ敵地深ク突入シテ國難ニ殉ス其忠勇義烈真ニ國士ノ亀鑑タリ後年其功ニヨリ勲五等ヲ授ケラレ特旨ヲ以テ靖國神社ニ合祀セラル


所在地 港区麻布台1

  三年坂の由来
いつのころよりこの坂がそう呼ばれたのか、誰に名づけられたのか定かではありません。しかし、東京が江戸と呼ばれていた時代には無名ではあります。すでにこの坂がありのち石段になったようです。また。三年坂は別名三念坂などとも呼ばれ同じ名前の坂がほかに数箇所あります。
京都清水のそばに同名の坂があります。昔の人が遠くふるさと京都をしのぶ気持ちを坂の名前にこめたとしたらロマンでしょうか。
 平成17年(2005)8月  麻布土木事務所


所在地 港区麻布台1-9-20

階段になった坂を一般に雁木坂というが、敷石が直角に組まれていたから等ともいい、当て字で岩岐坂とも書く

 平成16年(2004)9月 港区





所在地 港区麻布台3-4-17 (メゾン飯倉)

 島崎藤村は71才の生涯のうち文学者として最も充実した47才から65才(大正7年〔1918〕~昭和11年〔1936〕)までの18年間 当麻布飯倉片町33番地に居住した大作夜明け前 地名を冠した飯倉だより童話集 ふるさと おとなものがたり などは当地での執筆である
  昭和48年(1973)4月3日建之
     株式会社東京楽天地


所在地 港区麻布台2

港区指定文化財(史跡)
 日本経緯度原点
          平成8年(1996)10月22日指定



 ここには、わが国の経度・緯度を決める基準となる日本経緯度原点が設置されています。この原点の経度・緯度の数値は、大正7年(1918)に文部省告示によって確定した「東経139度44分40秒5020、北緯35度39分17秒5148」でしたが、平成13年(2001)の測量法の改正により、最新の宇宙測地技術を用いて新たに「東経139度44分28秒8759、北緯35度39分29秒1572」と定められました。
 この場所には、明治7年(1874)から海軍の観象台が置かれていましたが、明治21年(1888)になって、赤坂九溜池葵町の内務省地理局天象台と合併し、東京帝国大学附属東京天文台が置かれました。原点の位置は、天文観測に用いられた機器である「子午環」の中心位置にあたります。その後東京天文台は大正12年(1923)に三鷹に移転しましたが、子午環跡は国土地理院が日本経緯度原点として引継ぎ、現在もわが国の地図測量の原点として利用されています。
 日本経緯度原点は、日本の側地座標系の原点であるだけでなく、わが国の天文測量が始まったところとして、科学技術史及び文化史上意義深い場所です。
 港区教育委員会



      日本経緯度原点
日本経緯度原点は、わが国における地理学的経緯度を決めるための基準となる点である。明治25年(1892)に東京天文台の子午環の中心を日本経緯度原点と定めた。その後、大正12年(1923)の関東大地震により子午環は崩壊し現存しない。このため、日本経緯度原点の位置に金属標を設置した。
平成13年(2001)に測量法が改正され、測量の基準として世界測地経緯度および方位角の数値は、最新の宇宙測地技術を用いて定めたものである。
         原点数値
経度   東経  139℃ 44’ 28" 8759
緯度   北緯   35℃ 39’ 29" 1572
方位角          32℃ 20' 44” 756
(つくば超長基線電波干渉計観測点に対する値)
 平成14年(2002)4月1日 国土地理院



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