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東京都港区の歴史
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所在地 港区芝浦1-13

創建    昭和48年(1973)8月8日
御祭神仏 本佛釈尊
       芝浦妙法稲荷(旧竹芝稲荷、旧芝浦稲荷を合祀)        
御仏舎利 釈迦牟尼佛眞眞舎利



 昭和7年(1932)、東京倉庫運輸株式会社がこの地に進出の時、既にこの敷地の道幅に一本に太い柘榴の木と共にささやかに祀られた祠があった。
 その建設者も名称も縁起も不明のまま、管理者も不在であったので改築荘厳してお供物、お賽銭は絶えなかった。昭和46年(1971)、竹芝端の拡張に伴い倉庫の改装を余儀なくされ、この稲荷の祠も改築遷座されることとなった。この機会にそれまでの因縁を考え「芝浦妙法稲荷」と名付け、広く地元の皆さんに開放、地域の仕合わせと発展をご守護願うことになる。たまたま芝浦3丁目にあった芝浦稲荷が廃社になっており、「石造りのお社とお狐2体、灯篭2基、手洗い1基、敷石等一式を差し上げます。」との話を伝え聞き、地元住民の因縁を生かし社屋を竹芝橋稲荷に移築合祀することとし、芝浦全地域の氏神として復活した。
 竹芝橋稲荷は法華経有縁の稲荷であり、姫稲荷である。昔からの御神木は柘榴の木である。仏の金言に曰く「神は正直を以て頭となし、法華経を以って食となす」と。柘榴の木は鬼子母神のご神木として知られ、鬼子母神は十羅刹女と共に法華経有縁の神々の内の女神の代表である。故にこの稲荷のご本体は正に女神であり、法華経守護請願の鬼子母神かその一類であり、「妙法稲荷」の名称を冠す神意と感得する。かつて繁栄を誇った木挽町妙法稲荷は既になく、そのご本体は鉄砲州稲荷に移管又芝浦妙法稲荷も戦後一信者の家庭稲荷と化し、妙法稲荷の命脈正に絶えなんとする時、偶然にもこの地芝浦にその継承と復興が実現、妙法稲荷の本山となる。
 昭和57年(1982)8月、ブロンズ製金色の釈尊座像を祀り、神仏混交を具体的に表現。これ法華経見宝塔視なの宝塔湧現であり、日蓮御聖人のお曼陀羅本尊の実現である。
 次いで昭和62年(1987)5月、ネパール国スアワンプ・ヤート寺(通称目玉寺)のギャン・カジ・シャモヤ上人より東京倉庫運輸株式会社社長池田新一に対し御仏舎利守護のご加命あり、奉戴を機会に御仏舎利を奉安する。 合掌



御祭日  初午祭     2月午の日
      創建記念祭  8月8日
      月例祭     毎月8日


所在地 港区芝浦3-3 (JR田町駅芝浦口)

  放送記念碑
 ここは大正14年(1925)3月22日わが国最初の放送電波が発せられたゆかりの地です。
 東京放送局が、当時ここにあった東京高等工芸学校の図書室を仮放送所としてラジオ第一声を送り出しました。
 この放送発祥の地に、放送開始30周年を記念して「放送記念碑」を建立したものです。
 日本放送協会



  東京高等工芸学校の沿革
 本校は大正10年(1921)12月この地に創立されました。戦時下の昭和19年3月に東京工業専門学校と改称され、昭和20年(1945)5月戦災による校舎焼失のため、昭和20年(1945)10月千葉県松戸市に移転いたしました。昭和24年(1949)5月学制改革により千葉大学工芸学部として発足し、昭和26年(1951)4月工学部に改組され、昭和39年(1964)7月千葉市に移転し今日に至っております。
 平成3年(1991)12月創立70周年を記念し、ここに沿革をかかげました。
 平成4年(1992)7月吉日
 千葉大学工学部 千葉大学工学同窓会


所在地 港区芝浦1-11-16

港区指定有形文化財(建造物)
 旧協働会館
          平成21年(2009)10月27日指定



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