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東京都港区の歴史
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所在地 港区南青山4-17-43 (王子グリーンヒルアパートメンツ)

 斉藤茂吉翁(1882~1953)は、日本の近代短歌史上に偉大な足跡を残しました。
 この地「港区南青山4-17-43」茂吉翁が明治40年(1907)から昭和20年(1945)4月までの約40年間居住し、病院経営にあたるかたわら、童馬山房と称し短歌の創作に専念されたところです。
  


あかあかと一本の道通りたり 
      霊剋るわが命なりけり

 

 この短歌は、大正2年(1913)、茂吉翁31歳の自筆の短歌で、当時の青山の景観と地震の境涯とを重ね合わせて詠んだものです。
  王子製紙株式会社
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所在地 港区南青山4-28先

港区有形文化財(歴史資料)
 青山の庚申塔
           平成5年(1993)3月23日指定



 慶応元乙丑年(1865)建立のこの庚申塔は、

右 あをやま 内とうしん宿 ほりのうち
左 二十きおく□ 百人おく□ ぜんこうじ

と刻されているとおり、道しるべを兼ねている庚申塔で、当時この付近は草原で、道に迷う人が多かったために当地の山田、黒沢両氏によって建てられたものである。
 建立当時は、長谷寺方面から現在の青山通りに出るには、右へ行けば長者丸通りを経て、左へ行けば青山百人町を経て善光寺前へ出る道しかなく、この庚申塔も坂を上ってきて正面に見える方向に向いていた。
 60日に1度めぐってくる庚申の夜には、付近の人たちが山田氏宅に集まり、講の行事として庚申祭りを昭和の初期まで行っていた。
 昭和52年(1977)1月 東京都港区教育委員会
 

所在地 港区南青山5-6-23 (青山スパイラル)

 都旧跡
高野長英隠れ家



ここは昔の青山百人町幕臣与力小島持ち家で質屋伊勢屋の離れ屋先生の隠れ家又最後の処である時は嘉永3年(1850)10月卅日夜であつたこの度青山善光寺の碑の再建に際しここを表彰する 1964年

This is the historic spot where CHOEI TAKANO hid himself on the night of October 30,1850(the third Year of Kaei).This was the detached house of Iseya,a pawnshop,owned in olden times by a Shogun's retainer at Hyakunincho,Aoyama.Here he concealed himself and breathed his last.
 October,1964


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永山
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