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東京都港区の歴史
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所在地 港区芝公園3-1-13 (安蓮社) 

港区指定文化財(史跡)
  普光観智国師墓
           昭和55年(1980)11月15日指定

 観智国師は源誉存応といい、天文13年(1544)に武蔵国に生まれ、元和6年(1620)に増上寺においてその生涯を終えました。
 増上寺住職となったのは天正12年(1584)で、慶長4年(1599)には後陽成天皇から紫衣の勅許を得たほか、慶長15年(1610)7月には家康に斡旋により国師号を授けられ、これ以後、観智国師とよばれました。浄土宗としては異例の厚遇であり、この頃から増上寺は京都の本山知恩院と相並ぶ寺院として重んぜられるようになりました。また、この間、慶長10年(1605)から慶長17年(1612)にかけて、増上寺三門本堂経蔵などの堂宇の造営に努め、家康から寺領千石の寄付や、大蔵経三部の寄贈を受け、徳川家菩薩寺である増上寺を、政治的にも経済的にも確固たるものにして功績者です。
 平成22年(2010)12月 港区教育委員会
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所在地 港区芝公園4-8 (芝丸山古墳)

 芝公園内の丸山と呼ばれる丘陵の東南斜面に貝層が残存している。まだ正式の学術調査が行われず、古くから著名なわりにその内容が明がでない。
 表面的な観察によると、ハイガイ・ハマグリなどの海水産の貝殻から成るものと思われるが、従来文化遺物があまり採集されていない。わずかに安行式土器片が発見された事実から、縄文時代後期の貝塚と考えられるにとどまる。
 丸山の丘上には大形の丸山古墳が造られているので、破壊されているところもあるが、斜面に残る部分は都内の貝塚研究のため重要である。
 昭和48年(1973)3月  東京都港区教育委員会


所在地 港区芝公園4-7-35 (増上寺)

   安国殿と黒本尊
 この建物は徳川家康公の法号「安国院殿」からその名をとっています。「安国殿」とは現らい家康公の尊像を祀る御霊屋を意味していましたが、戦後の復興に伴う増上寺境内堂宇整備の一環として、昭和49年(1974)当時の仮本堂をこの地に移転し、家康公の念持仏として有名な「黒本尊阿弥陀如来」を安置し「安国殿」と命名しました。
 建物の老朽化に伴い、平成23年(2011)法然上人八百年御忌を記念し、念仏信仰の拠点として家康公が成し遂げた天下泰平の世(安らかな国づくり)を願い、新たに「安国殿」を建立しました。
 「黒本尊」は当山の秘仏で、正月、5月、9月の各15日、年3回行われる祈願会の時だけ御開帳されます。また両脇陣には、家康公肖像画、徳川家位牌、和宮像、聖徳太子像、仏舎利などが祀られており、庶民の信仰の中心として親しまれています。

  安国殿
徳川家康公の念持仏として有名な、秘仏「黒本尊阿弥陀如来」が祀られています。黒本尊は家康公が深く尊崇し、そのご加護によりだび重なる災難を除け、戦の勝利をおさめ、天下統一の大願を成就したという霊験あらたかな阿弥陀如来像で勝運や、厄除けの仏様として江戸時代以来、広く人々の尊崇をあつめています。

Enshrined in this building is the Black Image of Amida Buddha,which was deeply worshiped by Ieyasu Tokugawa,the 1st Tokugawa Shogun.Since the Edo Period,it has been widely revered as a Buddhist image which brings victory and wards off evils.For this reason,it also used as a prayer hall.


所在地 港区芝公園4-7-35 (増上寺)

開山堂  開山上人をお祀りしています。
         (image of Shoso Shonin,the founder)


所在地 港区芝公園4-7-35 (増上寺)

 港区指定有形文化財(建造物)
増上寺景光殿(旧広書院)表門
         平成17年(2005)10月25日指定

 桟瓦葺の屋根を持つ一間一戸の四脚門(平唐門形式)です。一時期、明治42年(1909)の火災により移転した護国殿の中雀門として、三解脱門を入った左手に立地していましたが、建築当初の位置は明らかではありません。現在地には昭和53年(1978)に移築されました。
 正面の蟇股には表裏両面に三葉葵紋が刻まれ、側面の蟇股は内側のみに葵紋が彫られ、外側は板状となっています。また、鬼瓦と留蓋瓦にも葵紋が付されます。
 虹梁絵様の形は十七世紀末から十八世紀前記の特徴を示し、増上寺水盤舎(清揚院霊廟から移築)のものに類似しています。徳川家光次男、甲府宰相綱重(1644~1678、法名清揚院殿)は、宝永2年(1705)に伝通院から増上寺に改葬されており、この門も近い時期に建てられたと考えられます。
 本建築は、徳川家菩提寺として隆盛を誇った増上寺の往時の華麗さを伝える数少ない遺構の一つとして貴重です。
 平成17年(2005)10月25日 港区教育委員会



所在地 港区芝公園4-7-35 (増上寺)

東京都指定有形文化財
 増上寺経蔵
     大正10年(1921)4月指定



 増上寺は明徳4年(1393)酉誉聖聡により武蔵野国豊島郡貝塚(現千代田区)に浄土宗の正統念仏伝法道場として創建され、慶長3年(1598)現在地に移転しました。慶長10年(1605)から増上寺は幕府により浄土宗教義に基づく本堂・三門・経蔵・表門。方丈・学寮・諸堂などを配置した大伽藍が造営され、やがて徳川将軍家の菩提寺、浄土宗の関東十八壇林の筆頭に就き、浄土宗宗教を総括する総録所となりました。
 経蔵は慶長10年(1605)に創建され、天和元年(1681)12月に改造移築し、さらに享和2年(1802)6月現地に移しました。構造は土蔵造、白壁仕上げ、一重、屋根宝形瓦葺き、四方に銅板裳階付き、建坪42.24坪(139.66㎡)、軒下高さ21尺(6.36m)。経蔵内部には、中央に軸を立て八面の経巻棚を設け、これに経巻を納め、事由に回転できる八角形の木造輪蔵を安置しています。これには徳川家康が寄進した宋版、元版、高麗版の大蔵経(重要文化財)が格納されています(現在は別に保管されています)。
 平成22年(2010)3月建設  東京都教育委員会



             Zokp-ji Kyozo
Zojo-ji was founded by YuyoSousyo in 1393 as Jodo-sect orthodox dojo for Buddhist invocations of Jodo-sect in Musashinokuni Toshimagun Kaizuka(Vhiyoda-ku).Since 1598,it was relacated to its current place.In1605,based on the Jodo doctrine,it was extended by the Edo government to a Dai-garan(temple complex)consisting of main building,Sanmon(enlightenment gate),Kyouo,Omotemon(main gate),HOujou(residence),dormitories and other small buildings.Once Zojo-ji became the family remple of TokugaswaShogun and the mosr important among 18 Jodo-sect study-temples in Kanto area,religious and political decisions of Jodo-sect were made there,KYouzo was constructed in 1605,relacated and remodelled in Desember 1681 and finally mobed to its current place in June 1802.Kyouzo contains wooden octahedralsutra storagetural  shelves that smoothly revolve around the central pillar.Sou,Gen and Kourai editions of Daizoukyo (Sutra in China),which were donated by Ieyasy Tokugawa,were kept in those shelves (They are Important cultural properties,and are currently kept in a different place).


所在地 港区芝公園4-7-35 (増上寺)

港区指定有形文化財(建造物)
 増上寺黒門(旧方丈門)
     昭和55年(1980)11月15日指定



 増上寺の方丈(庫裡)の表門であったので方丈門とよばれ、また全体が黒漆塗であたために黒門ともよばれた。
 四脚門で、建造年代を明らかにする棟札などの記録は見出せないが、江戸時代初期の特徴を示す様式から17世紀後半のものと推測される。
 蟇股には唐獅子や牡丹が浮彫されていて、精巧で写実的な図柄は、近世の建築彫刻の特色を示している。長年の風蝕のため、古色をおびているが、桃山建築の豪華さのおもかげがうかがえる。
 東京都港区教育委員会



所在地 港区芝公園4-7-35 (増上寺)

   佐瀬得所遺徳之碑

遺徳之碑為佐瀬得所翁建也翁書師耳何曰遺徳翁有師道焉既歿而人不能故也翁会津人幼嗜書甞赴長崎與清客銭少虎江元曦等論筆法後遂航清国遍訪名家質正研鑽二年而還寓東京名振弟子益進其所書脩斎廉節四字會経  御覧賜描金梅花筆一書金龍墨雨笏蓋異敷也翁於是命居曰梅龍書屋張宴於河東一樓大会賓客拝観  御賜席上作鷲龍二字方一丈有餘腕力勁健溌墨淋林檎観者驚歎翁於書無所不学而尤喜欧陽率更趙松雪與清人遊遂大有所悟能成一家為人楽易真率未甞毀誉人可否時事常以揮麗自娯忘栄枯得喪故其書亦沖澹幽雅無怒張之気脩之態官左院無幾罷去専以教授為業及門殆二千人緋素摺帖満室堆案翁起臥其間日夜不停筆持摸本来者口講指書眩暈腕痺猶不肯休蓋不肯休蓋篤嗜所存不自知其為労然終以此獲疾至不起明治十一年一月二日也年五十七翁既不誇技能誨人諄偲偲俯就泛應終始弗渝以故門人親愛之如父母及歿謀建碑於三縁山麓以予與翁有舊来乞碑文師道之廃也為師者不知所以教弟子為弟子者不知所以学既学矣又不知所以報朝則師弟夕為路人背憎陰詆往往操戈入室鳴呼甚矣風俗之趨汚下凡百学芸莫不皆然惟翁至性所感門人小子没世不忘幾乎有廬家服喪之思語云誨人不倦翁近之詩云無徳不服門人有焉然則翁之與門人道也進乎枝矣
明治十一年戊寅四月  一等編修官従五位重野安繹撰文
善用我法能為人師道進乎技豈惟工書惜余来之遅不及見之噫
大清光緒四年戊寅夏五月殻旦
欽差出使大臣何如璋撰銘 出使随員沈文篆額


所在地 港区芝公園4-7-35 (増上寺)



 港区指定天然記念物
 増上寺のカヤ
     昭和55年(1980)11月15日指定



 目通り(地上1.5メートルの高さ)直径1.3メートル、周囲約4メートル、樹高25メートルを超える独立樹。推定樹齢600年。
 増上寺の建立時の記録をはじめ、現在までに記載された文書はないが、このことはこのカヤが移植されたものではなく、古くからこの地に自生する自然木として貴重であるばかりでなく、巨樹としても全国的に有数なものと思われる。
 本来カヤは、暖帯の植物で、関東地方を自生の北限として分布する針葉樹であり、分布の北限に近い港区内にこの大きさで残存していることは、貴重である。
 東京都港区教育委員会



所在地 港区芝公園4-7-35 (増上寺)

 大納骨堂は昭和8年(1933)に建立されました。御本尊は高村光雲氏作をもとにした地蔵尊像です。
 戦災の難を逃れた数少ない建造物で、昭和55年(1980)に現在地に遷座、開眼供養が厳修されました。
 堂内には有縁無縁のご本骨、ご分骨が納められ、狛犬に守られてお祀りされています。
  増上寺


所在地 港区芝公園4-7-35 (増上寺)

 幕末の劇的な次代を生き抜いた徳川家14代将軍家茂公正室、皇女和宮さまゆかりの茶室。
 昭和55年(1980)に移築・改修されました。
 その際に和宮さまの戒名『静寛院宮贈一品内親王好譽和順貞恭大姉
から『貞恭庵』とつけられました。
 四畳半の二間の茶室からなる建物です。
 増上寺では和宮さまの遺品と伝えられている袈裟、琴、手紙、漢詩の書掛軸などを所蔵しています。



  Teikyo-an
A tea house related to imperial Princes.(Wife of Shogun Iemochi)


所在地 港区芝公園4-7-35 (増上寺)

土木建築事業ハ一國文化ノ象徴産業ノ先躯ニシテ厥ノ能ク山岳ヲ貫キ雲閣ヲ築クや固ヨリ険ヲ犯シ危キヲ怖レス斯ノ高業ニ従フモノ洵ニ平和ノ戦士トモ謂フベシ而シテ不幸ソノ職ニ殪レシモノ豈ニ其ノ英霊ヲ祀リ其ノ幽魂ヲ慰メスシテ可ナランヤ茲ニ全國同業者ノ寄進ニ依リ慰霊塔ヲ建立シテ永ク其ノ菩提ヲ弔ハントス
  昭和12年(1937)3月21日 
     日本土木建築請負業聯合會



所在地 港区芝公園4-7-35 (増上寺)

 この御堂は平成23年(2011)宗祖法然上人800年御忌を記念し、総本山知恩院門跡第八十六世中村康隆猊下と当山法主第八十七世成田有恒台下との尊い結縁が実を結び、時の執筆長江口定信上人が実務を担当、続いて楠美執事長が後を襲ぎ、平成18年(2006)11月25日知恩院より法然上人の御廟の御浄砂を拝領しました。成田台下は直ちに「御身柄(おみがら)」と命名、この縁を承け奉安する御堂の建立を発願し、平成21年(2009)9月に竣工しました。
 圓光寺大師堂の概要は木造平屋建、妻入入母屋造本瓦葺、向拝軒唐破風付、間口四間(約8m)、奥行は裏堂を含み八間(約13.5m)、高さ9.5mの御堂です。
 法然上人の御身柄が奉安されております。



  Enkodaishido (temple erected)
The remains of Honen Shonin are enshrined.


所在地 港区芝公園4-7-35 (増上寺)

 昭和49年(1974)、浄土宗開宗800年の記念事業として戦災に遭った本堂を再建しました。
 「大殿」と称し、間口二十六間余(約48m)奥行二十五間余(約45m)高さ七丈半余(約23m)総面積は10,535㎡という大きさの大本堂です。
 石段を登りきった2階に本堂、3階に道場、1階に檀信徒控室、地価に三縁ホールなどを備えています。
 本堂には、ご本尊の阿弥陀如来(室町期作)、両脇壇に高祖善導大師と宗祖法然上人の御像が祀られ、参拝される方々の厚い信仰をあつめています。


所在地 港区芝公園4-8-11 (芝東照宮) 



  星野高士句碑

「人にまだ 触れざる風や 朝桜」

「長編の 虚子の一書を 読始」

「法師蝉 鳴いてゐる木と すぐわかる」



 星野高士句碑建立記念俳句

  発起人

「咲き満ちて宮居に句碑に花明り」静雄

「歳月は美しきかな梅ひらく」酒井郁子

「日脚伸ぶけふの宴はタンシチュウー」檀太郎(俳号 旦士)

「小夜時雨遣らずの雨ととヾめらる」西川阿舟

「坂道の終わりの空の山椿」中島信也(俳号 新)

「絵巻めく東照宮の花吹雪」桂

「木の実独楽父にはいつも敵はざり」川崎城春

「残したき言の葉ばかり宮乃春」高橋カ女

「これよりは宮の小鳥に遊ぶ句碑」石川墨水世

「高士句碑■る楽しみも■■■」 ■■みはら

「初蝶は立子の使者よ句碑披き」中村代詩■

「夕映えの雲をふちどる街の冬」森みち子

「■や虚子の御心つなぐ句碑」小島昭子

「雪解や我が高士■の句碑建つぞ」■お■■

「句碑涼し関八州をそびらにし」長尾光風

「マイウェイ声高らかに年志」奥佳士朗

「結び目をほどくときめき懸想文」森孝子


所在地 港区芝公園3-6-25

 聖オルバン教会
 英語による聖公会(英国教会)の礼拝はこの地で1879年以来続けられています。日本聖公会聖オルバン教会は1954年創立され、1956年3月17日東京教区教テモテ藤田誠師父によって聖別されました。この礼拝堂は、札幌の聖ミカエル教会の建築も手がけたアントニン・レイモンド氏によって設計されました。英国の最初の殉教者聖オルバンにちなんで名付けられた当教会は、英国国教会を源とし、世界に広がるアングリカンコミュニオンに所属しています。その一員である日本聖公会は、全国に11教区、278教会、11礼拝堂を有しています。聖オルバン教会は東京教区35教会の中で唯一英語を公用語としており、その会衆の出身地は日本をはじめ世界各地に及んでいます。当教会では、あらゆる教派のクリスチャンおよびキリスト教信仰に関心を持つ方はどなたでも当教会の礼拝、内外の奉仕活動への参加を歓迎いたします。
 1993年3月17日 牧師 司祭 ウィリアム・ハーゲット

      ST.ALBIAN'S CHURCH    Nipppon Seikokai
          (Anglican-Episocopal)

English-language Christian service in the Anglican tradition have been conducted on this site almost cotinuously since 1879,the St.Alban's-Episcopal congregation was formed on December 7,1954,and tis chruch building was consecrated by the Bishop of Tokyo,The Rt.Rev.Timothy Makita,onaMarch 17,1956.The building as designed by Mr.Antonin Raymond also the architect of St.Michael's Church in Sapporo.Named for the first Inglish martyr,St.Alban's Church forms part of the international Anglican Communion,a body autonomous churches throughout the world that evolved from the Church of England.In Japan,the Nippon Seikokai (Holy Catholic Church of England.In Japan)has 11 diocese comprising 278 paridhes and 40 Capes St.Alban's is the only English speaking congregation among the 35 Anglican shurches of the Diocese of Tokyo and its members come from many nations as well as Japan.Christians of all denominations are welcome to worship at St.Alban's and to participate in its outreach programs in Japan and throughout the world.
 Willam M.Hargett,Rector   March 17,1993-1998



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永山
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