東京都港区の歴史
× [PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。 所在地 港区高輪2-8-2 (承教寺) その昔、江戸時代に東海道を日本橋からきて品川宿の手前、右側の小高い丘陵地帯を、「高縄手」と呼んでいましたが、そこにある寺に大木の榎が二本あって、旅人のよき目標になっていたそうです。 誰いうとなくこの榎を「二本榎」と呼ぶようになりました。 それがそのまま、「二本榎」(にほえのき)という地名となって続き、榎が枯れた後でも地名だけは残りました。 戦後、地番変更で高輪何丁目などと地名が変りましたが、昭和42年(1967)に町内の黄梅院の境内に夫婦の榎を植樹し、石碑を立ててこの「二本榎」の町名をいつまでも忘れないようにしました。 平成2年(1990)、「碑」をこの場所に移しましたが、二本の榎は黄梅院に大切に育てられています。 この「碑」はこの町の住民にとって大切な象徴となっております。 高輪二本榎町会 PR |
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プロフィール
HN:
永山
性別:
男性
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