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東京都港区の歴史
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所在地 港区高輪2-8-2 (承教寺)

 その昔、江戸時代に東海道を日本橋からきて品川宿の手前、右側の小高い丘陵地帯を、「高縄手」と呼んでいましたが、そこにある寺に大木の榎が二本あって、旅人のよき目標になっていたそうです。
 誰いうとなくこの榎を「二本榎」と呼ぶようになりました。
 それがそのまま、「二本榎」(にほえのき)という地名となって続き、榎が枯れた後でも地名だけは残りました。
 戦後、地番変更で高輪何丁目などと地名が変りましたが、昭和42年(1967)に町内の黄梅院の境内に夫婦の榎を植樹し、石碑を立ててこの「二本榎」の町名をいつまでも忘れないようにしました。
 平成2年(1990)、「碑」をこの場所に移しましたが、二本の榎は黄梅院に大切に育てられています。
 この「碑」はこの町の住民にとって大切な象徴となっております。
 高輪二本榎町会
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