東京都港区の歴史
× [PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。 所在地 港区西麻布2-21-34 (長谷寺) 港区指定文化財(史跡) 伊澤蘭軒墓 昭和57年(1982)10月30日指定 江戸時代後期の医師・文化人であり、とくに古書籍の考証に深い見識を示した伊澤信貞恬、号蘭軒は安永6年(1777)11月11日に江戸本郷で生まれました。儒学・医学・本草を学び、特に泉豊洲の塾では同窓に狩谷棭斎がおり、親交を結び、ともに考証学の道を歩みました。後に棭斎の孫女が蘭軒の子柏軒に嫁し、また柏軒の女が棭斎の養孫矩之に嫁し、姻戚関係をも重ねることとなりました。父信階のあとをうけて、備後福山藩主阿部氏の侍医となりましたが、足疾のため表医師にうつり、儒官を兼ねました。彼の校勘解題(古典の写本などを比べてその誤りや異同を調べ、できるだけ原本の)形を再現した解説書)の主なものとしては『医心方(いしんほう)』・『元板千金方(げんばんせんきんほう)』・『元板千金翼方(げんばんせんきんよくほう)』・『弘安本考経(こうあんぼんこうきょう)』とその跋(あとがき)が挙げられます。文政12年(1829)3月17日没。53歳。法名は芳桜軒自安心恬居士といいます。 森鴎外は史伝小説『伊澤蘭軒』を執筆し、埋没していた蘭軒の業績を探し求め、明らかにしました。 港区教育委員会 PR |
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永山
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