東京都港区の歴史
× [PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。 所在地 港区東麻布1-1-5 (心光寺) 港区登録有形民俗文化財 お竹流し板 平成5年(1993)3月23日指定 お竹如来の縁起 お堂にはお竹如来及び流し板をまつる 寛永年間、江戸大伝馬町の名主佐久間勘解由家のところの下女お竹は荘内(山形県)出身にして生れつきいつくしみの心が深く、朝夕の自分の食事を貧しい人に施し、自らは水盤の隅に網を置いて、洗い流しの飯が溜ったものを食料としたという。信仰厚く常に念仏を怠らず、大往生をとげたというこの噺を聞いた5代将軍綱吉の生母桂昌院は、いたく心を動かされ、金欄の布に包まれた立派な箱にお竹さんが当時使った流し板をおさめて増上寺別院であった心光院に寄進され、その徳光を顕彰されたこのこと江戸名所図絵、三緑山志等に出つ。桂昌院御詠歌に ありがたや光と共に行く末は 花のうてなにお竹大日 一茶の俳句に 雀子やお竹如来の流し元 雲の日やお竹如来の縄だすき また当時の浮世絵師春信 国芳 豊国ら多くの絵師によってお竹の姿が描かれた。なおこの御堂は秋田出身の神成志保氏の特志によって建立された。 浄土宗 心光院 PR |
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永山
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