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東京都港区の歴史
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所在地 港区港南4-5 (東京海洋大学)

長さ  136フィート 2インチ (41.2メートル)
幅   28フィート 6インチ (8.7メートル)
深さ  16フィート  7.5インチ (5.0メートル)
総トン数 444.25GT
3速成汽機303馬力・・・・・1基
汽缶・・・・・2基
搭載艇・・・・・6艇
最大搭載人員 81人(職員15人 部員26人 学生40人)
造船所 株式会社大阪鉄工所 桜島工場(1909年5月12日竣工)



 雲鷹丸は、東京水産大学の前身 農商務省水産講習所の第2代練習船である。初代練習船 快鷹丸(木造帆船 総トン数137.66トン)からその用務を引継ぎ、1909年5月30日出帆の第1次航海から1929年8月までほぼ20年間就航した。第33次航海を終了後に第3代練習船 白鷹丸(鋼製汽船 総トン数1,327.78トン)に実習航海を引継ぎ、当時の母校所在地であった越中島岸壁において係留練習船として学制の実習に供された。第二次世界大戦終了後の混乱期を経て、さらに学舎の移転等の諸事情により整備・管理が不十分なまま放置されていたが、昭和37年(1962)に喫水線上部の船体が現在の所在地に移設され、マスト・ヤード等の復元、船体及び整備等の補修が加えられ、現在に至っている。
 雲鷹丸の原型を再現するためには多くの補修及び整備が必要であるが、水産資料館に展示されている資料及び記録等が現役時代の英姿として参考に供することができよう。



 雲鷹丸は、学生の教育・実習を目的とした練習船であったが、試験操業、海洋調査等多目的の調査研究船としての機能をも兼ね備え、北洋及び南洋海域を含む広大かつ長期にわたる遠洋航海の航跡を残し、我国の水産業の発展・振興に多大なる貢献をした。これらの実績が評価され、現在この地に船体保存という形で継承されている。
 雲鷹丸で実習航海を修了した600余名の卒業生は、練磨された操船法・漁法のほか、基礎的な学理に基づく技術革新の知識を修得し、実社会に送り出された。そして彼らは、日本の漁業界を啓発主導し、幾多の功績をあげ、社会・産業の発展に大きく寄与した。また、搭載されて最高水準の漁撈及び観測機器による調査研究の成果は、海洋、漁場等に関する科学の基礎を確立するとともに、操船技術の革新、漁具、漁法の改良、開発等に活用された。また、船体構造、材料及び艤装仕様並びに運用要領等は、現在も貴重な海事史的価値として評価が高い。
 雲鷹丸は、1998年12月11日付けで文化財保護法の規定に基づく登録有形文化財に登録され、東京水産大学の教材・研究資料としてのみならず、国民全体の文化資産としてここに保存されることになった。


 
 登録有形文化財
〔登録番号第13-0042号 平成10年(1998)12月11日登録〕
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