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東京都港区の歴史
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所在地 港区三田2-15-45 (慶應義塾大学)

    重要文化財 三田演説館の由来
 慶応義塾の三田演説館は、福澤諭吉先生によって建設されたわが国最初の演説会堂である。開館は明治8年(1875)5月1日、はじめはいまの塾監局の北端のあたりにあったが、大正13年(1924)に現在のところに移築された。



 構えは木造かわらぶき、なまこ壁で、日本独特の手法が用いられているけれども、本来アメリカから取り寄せた諸種の図面をもとにして造られたものであって、明治初期の洋風建築のきわめて珍しい遺構とされている。規模は床面積191平方メートル余、一部が2階造りになっていて、延面積は280平方メートル余りになる。
 福澤諭吉先生は晩年、この演説館について、「其規模こそ小なれ、日本開闢以来最第一着の建築、国民の記憶に存すべきものにして、幸いに無事に保存するを得ば、後五百年、一種の古跡として見物する人もある可し」としるしておられる。まさに、三田演説館はわか国文化史上の貴重な記念物というべきであろう。
 慶応義塾



此ノ演説館ハ明治8年(1875)5月1日福澤先生ガ世ニ率先シテ演説ノ法ヲ普及センガ為ニ創建サレタル我國最初ノモノニシテ大正4年(1915)東京府ノ史蹟ニ指定サルコレハ始メ慶応義塾塾監局建物ノ北端に位置セルモ大正13年(1924)火災ノ危険ヲ慮リ稲荷山ノ丘上ニ移サレ幸ニ太平洋戦ノ災禍ヲモ免ルルヲ得タリ然ルニ荒廃既ニ久シキヲ以テ幼稚舎同学ノ四四會有志相謀リ之ガ修復ニ及ベリ本館ニ■シ先生ノ曰ク「慶応義塾ノ演説館は其規模こそ小なれ日本開闢以来最第一着の建築國民の記憶に存す可きものにして幸に無事に保存することを得ば後五百年一種の古跡として見物する人もある可し」ト爾来僅ニ半世紀ニシテ日本文化史ノ一頁ヲ飾ル歴史的建物ノ一ニ敷ヘラルルニ至ル洵ニ先生ガ先見ノ明ニ服スルモノナリ
 昭和22年(1947)5月誌
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