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東京都港区の歴史
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所在地 港区虎ノ門3-13-6 (天徳寺)

   河井荃廬 明治4年(1871)~昭和20年(1945)
 初名は得、字は子得、のち名を仙郎と改む。別に蟫巣、九節丈人と號し、堂號を繼述堂、寶書龕といった。京都の人。篆刻は始め篠田芥津に就いて浙派の風を學び、ついで上海の呉昌碩に從學した。以後秦漢の古典から近代の鄧石如・呉譲之・趙之謙等を博渉融會して別幟を樹て、明治、大正、昭和の印壇に君臨した。その作風は高邁な識見と金石學の深い造詣に裏打ちされた高古な古典主義を特色とする。金石書畫の鑑識に精しく、著名な碑帖の將来、明清の書畫の審定紹介に先驅的な貢献を果たし、趙之謙藝術の發掘研究の第一人者でもある。中國文化界との交流も深く、西冷印社創設の發起人として盡力した。昭和20年(1945)3月10日の空襲に遭難、享年74。
   天徳寺
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