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東京都港区の歴史
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所在地 港区芝5-20-20

東京都指定旧跡
 水野監物邸跡
     昭和18年(1943)3月16日指定 

 この地は赤穂事件で、吉良邸討入りに加わった大石内蔵助良雄ら47人のうちの9人が預けられた三河岡崎藩水野家芝三田屋敷の一部である。水野家は、のちに天保の改革を主導する水野忠邦を輩出した譜代大名の名門の家柄で、水野監物忠之(1669~1731)は、第4代藩主である。元禄14年(1701)3月浅野内匠頭長矩の吉良上野介義央に対する殿中刃傷事件の折りには、幕命により鉄砲洲の赤穂藩邸(中央区明石町の聖路加国際病院)に赴き混乱を防いだ。
 元禄15年(1702)12月15日元赤穂藩士たちのお預けが決まると、直ちに江戸詰藩士150余人と留守居小川九郎右衛門を請取人として千石伯耆守邸(港区虎ノ門2-8)に遣わした。間重治郎光興、奥田貞右衛門行高、矢頭右衛門七教兼、村松三太夫高直、増せ孫九郎正辰、茅野和助常成、横川甚平宗利、三村次郎左衛門包常、神崎與五郎則休の9人は、この屋敷へ収容された。翌元禄16年(1703)2月4日幕府の裁きにより9人は、この屋敷で自刃し、武士の本懐を遂げた。
 水野家は細川家とともに元赤穂藩士の取扱は丁重で世評もよく、「細川(越中守綱利)の水の(水野監物)流れは清けれど、ただ大海(毛利甲斐守綱元)の沖(松平隠岐守定直)ぞ濁れる」という落首がその状況をよく伝えている。
 平成13年(2001)3月31日設置 東京都教育委員会

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