東京都港区の歴史
× [PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。 所在 東京都港区赤坂7-3-39 この高橋是清翁記念公園(たかはしこれきよおうきねんこうえん)は、日本の金融界における重鎮で大正から昭和初めにかけて首相、蔵相などをつとめた政治家『高橋是清』翁{安政元年(1854年)~昭和11年(1936年)}の邸宅があったところです。 翁は、昭和11年(1936年)2・26事件によりこの地において83歳で世を去りました。翁の没後、昭和13年(1938年)10月高橋是清翁記念事業会がこの地を当時の東京市に寄附し、昭和16年(1941年)6月東京市が公園として開園しました。その後、昭和50年(1975年)港区に移管されたものです。第二次世界大戦の空襲により翁ゆかりのある建物は焼失してしまいましたが、母家は故人の眠る多摩霊園へ移築されていたため難を免れ、現在は都立小金井公園にある江戸東京たてもの園へうつされています。戦時中撤去されていた翁の銅像も昭和30年(1955年)に再建されました。 現在の面積は5,320㎡で、国道246号線の拡幅等により開園当初よりやや減っていますが、和風庭園はほぼ当時のままの姿で残されています。 園内は池を中心として石像や石灯篭が配置され、樹木はかえで、もっこく、うらじろがし、くすのきなどたくさんの種類があり落ち着いた雰囲気をかもしだしています。 平成7年(1995年) 港区 PR |
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永山
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