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東京都港区の歴史
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所在地 東京都港区芝公園4-8-1 (芝東照宮)

  東照宮復興祈念碑
 東照宮の御神体であり 重要文化財でもある家康公の寿像は 慶長六年 徳川家康公六十歳の新春を迎えられた正月元旦 年始の式をおわられたあと 近習丸津某に命ぜられて 公の等身大に彫刻させられたものであります 存生中はつねにみずから この寿像の祭供を行われておられたと 重要文化財である添書に明記されてあります 本営は 日光 上野 久能山東照宮とともに わが国四大東照宮として崇敬者の尊敬をあつめている由緒ある名宮であります
 こ寿像が本営にまつられましたのは 元和二年四月 御違例によって 増上寺の観智国師 了的 廊山の三高僧が駿府城に登営され そのとき家康公より「この像を増上寺に鎮座させ 永世国家を守護なさん」と仰せ出されました そしてこの丸山の地をトして社地に定められ 元和二年十月造営されたのであります
 その後 寛永十一年模様替えがあり 同十八年には社殿さらに新改築成って その枯厳なる社殿は大正四年国宝建造物に指定され神域の公孫樹(いちよう)は昭和五年八月 天然記念物に指定を受け 増上寺とともに伽藍の美を誇って居りました また 寛永年間より明治維新まで別当安土院が奉仕し 明治三年の神仏混淆廃止令によって 明治六年七月三十一日郷社に定められ 以来 芝公園町内の氏神さまとして 氏子はもとより 全国崇敬者の参拝絶える事なく春秋の大祭には 山車 催物等  賑を極めたといわれて居ります しかし 不幸にして さきの戦災により 寿像と公孫樹とを除き 社殿 灰
燼に帰してしまいました
 英雄とこしえにまつられる本営の仮神殿の現況を見るに偲びず 町内氏子 崇敬者相寄り 昭和三十六年十月 東照宮復興奉賛会を創立いたしました その後 いくたの障害もありましたが 昭和十四年八月十七日壮麗なる社殿並びに社務所が落成し
 それと前後して 防火壁 玉垣等 境内の整備もなされました 更に 昭和十八年五月十七日に水舎が完成して 現在の姿に復興するにいたりました
 江戸八百町の開設者であり 東京都の大恩人である家康公をまつる本営が復興なりましたことを心から喜ぶと共に 今後 本営が一層多くの人々の崇敬の的になることを祈願するものであります
  東照宮復興奉賛会
    名誉会長 徳川
恒孝
    会長 渡辺八左衛門
    宮司 滝孝作
    総務 石井正一郎


 東照宮復興奉賛会役員
名誉会長     
 徳川家正 徳川恒孝
名誉顧問    
 東龍太郎
会長        
 福井盛太 渡辺八左衛門
副会長
 (建設)石井正一郎 (渉外)森栄 (財政)中積宗治 
中島金蔵 
 (参道整備)清水俊雄 平川喜義
常任委員 兼 建設委員
 朝倉史吉 近藤五十資 八木弥一 小宮山茂雄 津村弘光 長崎弥一 金子富治
常任委員
 坂口正倫 佐藤量八 池田長見 佐久間源一 平岡好武
委員
 伊藤全啓 秋元喜一 森田一正 酒寄正雄
会計顧問
 渡辺八十吉
会計
 松尾新次 井口武次 石井スギ
監査
 久保祐三郎 佐藤均 三浦主人
顧問
 小田清一 前田久吉 椎尾弁匡 木下伊助
参与
 高島吉郎 高橋清作 森隆二 本阿弥猛夫 塚田恵秀 松下長平 松浦勝道 内藤温行 中里清一 池田欣司 新田新兵衛 加辺栄次 榎土伝重 田中栄一 中西敏ニ 平山羊介 岡謙四郎 青木堅三 井上正彦 高橋次郎 落合福寿 桑名邦雄 武井与四郎 前田卯太雄 国分隆 小西良助 岡田猛馬 恩田徳次郎 北村勝太郎

東照宮元宮司
 吉村重定
東照宮現宮司
 滝孝作
東照宮責任役員
 渡辺八左衛門 石井正一郎 森栄

設計者 松本設計事務所 松本昇
施工者 社寺公務所 鈴木一光
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