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東京都港区の歴史
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所在地 港区六本木4-3 (ブリヂストン三河台アパート)

 志賀直哉の父直温が、家族とともにここに移り住んだのは、明治30年(1897)、直哉14歳の時でした。当時の屋敷は1682坪(5550.6平方メートル)もあり、雑木林の趣さえうかがえる広大なものでした。
 直哉は、ここで29歳まで、人間形成のもっとも重要な青春時代を過ごしました。そして、この間、処女作である「或る朝」をはじめ「網走まで」「正義派」「大津順吉」などの初期の名作を生み出しています。作品の中には当時の父とのいきさつを扱ったものや、「剃刀」「自転車」のようにこの土地にかかわりのあるものがみられます。
 なお、当時の家屋は、昭和20年(1945)の戦災で全焼しました。
 昭和53年(1978)3月1日(平成18年〔2006〕8月建替)
 港区教育委員会

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