東京都港区の歴史
× [PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。 <御祭神> 倉稲魂命(くらいなたまのみこと) 天鈿女命(あめのうずめ) 瓊々杵尊(ににぎのみこと)
平安時代天慶3年(940年)に平将門が東国で叛乱を起こしたとき 征討将軍 藤原秀郷が当社に戦勝を祈願したとも このとき勧請したとも伝えられている。 室町時代の享徳4年(1455年)には室町幕府の関東管領で古河公方と云われた足利成氏は 当社に 戦勝を祈願した その祈願状は今日も当社に宝物として伝えられている。 江戸時代は稲荷信仰により祭礼も2月初午の日に執行せられ 稲荷祭としてその賑わいは 江戸で一二を争うものであった。 明治以降は5月4,5,6日を祭日とし 夏祭のはしりとしてその名をうたわれている。 当社殿は 伸びゆく新橋の地にふさわしい近代建築美の中に 神社本来の伝統を加味し昭和46年(1971年)12月 氏子の熱意により竣工をみたものである。 昭和46年(1971年)12月 宮司 山田將夫 PR |
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永山
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