東京都港区の歴史
× [PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。 ここは、汐留遺跡の発掘調査によって、仙台藩上屋敷の表門の遺構が発見された場所である。 寛永18年(1641年)に設けた屋敷は、当初下屋敷として用いられたが、延宝4年(1676年)には上屋敷となり、以後幕末まで仙台藩の江戸における拠点となった。 元禄15年(1702年)12月15日、本所吉良邸において、主君浅野内匠頭長矩(しゅくんあさのたくみのかみながのり)の仇討ちを成し遂げ、その墓所高輪泉岳寺へ向かう赤穂浪士は、この場所で粥のもてなしを受けたといわれる。あたかもレトルト食品のように瞬く間に作られた粥は、仙台名産の仙台糒(せんだいほしい)(粳米を蒸して乾燥させた保存食)であった。 仙台市・日本テレビ
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永山
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