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東京都港区の歴史
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所在 東京都港区赤坂6-10-12 (赤坂氷川神社)

 < 御祭神 >

宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ)-食物の神、殊に稲の神



 < 御縁起 >

① 古呂故稲荷(ころこいなり) - 赤坂一ツ木2番地、古呂故天神社境内に鎮座

② 地頭稲荷(じぬしいなり) - 氷川神社遷座以前よりの地に鎮座

③ 本氷川稲荷(もとひかわいなり) - 本氷川神社隣接、別当盛徳寺の地内に鎮座

④ 玉川稲荷(たまがわいなり) - 赤坂門外の御堀端、現弁慶橋のあたりに鎮座

 以上、4社を明治31年(1898年)、遷座合祀し、赤坂在住の勝海舟翁により『四合稲荷(しあわせいなり)』と称えられる。 



 大正14年(1925年)に、鈴降稲荷神社(すずふりいなりじんじゃ)(赤坂一ツ木町に鎮座)及び、縁起稲荷神社(赤坂丹後坂下に鎮座)2社を、また昭和9年(1934年)に、明徳稲荷神社(赤坂新町に鎮座)を、遷座合祀し、現在に至る。

 勝海舟翁筆の「四合稲荷社」という扁額が、現存する。



 < 附記 >

 古呂故稲荷神社は、古呂故天神社境内、氷川旧社地(氷川御旅所)に祀られていた稲荷社であって、明治17年(1884年)、氷川旧社地を売却した際、現氷川神社境内へ遷座、のちに四合稲荷に合祀された。

 地頭稲荷神社は、享保年間(1716年~1735年)、現氷川神社遷座以前より祀られていた稲荷社である。

 本氷川稲荷神社は、本氷川神社(昔は溜池付近にあり、のち承応3年(1654年)に、現氷川神社の隣地へ遷座、今井の総鎮守として、住民から尊崇を受けていた)境内の稲荷社で、本氷川神社と共に明治16年(1885年)、現氷川神社境内に遷座、のちに四合神社稲荷に合祀された。

 玉川稲荷神社は、水道方玉川庄右衛門の邸内社だったとする説もあるが、御神体が玉川上水に流れ来た故に、玉川稲荷と称したものと推定される。明治21年(1888年)、現氷川神社境内に遷座、のちに四合稲荷に合祀された。

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