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東京都港区の歴史
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所在地 港区東新橋2-17 (区立汐留西公園) 

   転車台基礎石
 明治5年(1872)9月12日、わが国の近代化の象徴ともいえる新橋と横浜を結ぶ鉄道が開業しました。「新橋停車場(新橋駅)は、日本最初の鉄道の始発駅であるとともに、その後全国へとレールを延ばした鉄道の歴史の始発駅でもありました。大正3年(1914)、東京駅の開業により、新橋駅は日本最大の貨物駅「汐留駅」として生まれ変わり、昭和61年(1986)、国鉄民営化に伴い廃止されるまで重要な貨物駅としてその役割を担ってきました。



 汐留地区の開発計画が進む中、平成3年(1991)から始められた地区の遺跡発掘調査によって、地中に駅舎の基礎である石積みと135mのホームが残されていることが明らかになるとともに、機関車方向転換用の転車台の基礎や構内にあった様々な施設の跡が次々と発見されました。この転車台の基礎は、現在の「ゆりかもめ」が新橋駅を発車してすぐにほぼ90度右に曲がる所の左手あたりで発掘されたものです。直径12.5mほどで、発掘された時は凝灰岩製の切石が三段に積み上げられ、底の面には排水用の溝がつけられたコンクリートが打たれていました。



 発掘された位置や規模から、転車台は明治4年(1871)12月23日に着工され、翌明治5年(1872)6月20日に竣工した開業当時の転車台に相当することがわかりました。この転車台は大正3年(1914)前後まで使用されたと考えられています。
 このたび、公園整備にあたり転車台基礎石の再利用について検討を行いましたが、大半は風化が進み使用に耐えないことが判明しました。このため、比較的風化の進んでいない最下段の切石のみを輪郭部に使用し、転車台の基礎の形状を再現したデザインとしました。
 日本の近代化を支えた遺産のひとつがここによみがえりました。
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