東京都港区の歴史
× [PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。 所在 東京都港区三田4-7-20(大信寺) 三味線はわが国の代表的な楽器として、世界に知られています。 13世紀ごろ中国に三絃としておこり、琉球に伝わり、16世紀ごろ摂津の堺(大阪府)に伝承して、京阪地方の琵琶法師に用いられていました。 その後種々の技法を採り入れた石村検校と、それを継いで世に出し、邦楽の発展に寄与しました。 三味線の始祖とされる石村近江は、号を浄本、通称を源左衛門といい、京都から江戸に移住して三味線を完成し、「浄本近江」と呼ばれた名工でした。 寛永13年(1636年)3月2日に死去しました。 なお、石村家は代々近江の名を継ぎましたが、特に2代浄本から5代までは名匠相継ぎ、古今無双の名器を世に出しました。 墓は本堂裏手の墓地にあり、記念碑も建っています。 昭和50年(1975年)1月 - 平成22年(2010年)3月立替 港区教育委員会 PR |
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永山
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