東京都港区の歴史
× [PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。 所在地 港区元麻布1-5-17 江戸幕府は、慶応元年(1865)4月から、プロシアの外交使節の宿舎として、芝日本榎の広岳院をあてていましたが、翌慶応2年(1866)3月、麻布仙台坂脇のこの場所にあった春桃院(現在は南麻布に移転)に移しました。 神奈川(横浜)駐在のプロシア領事として来日していたマックス・フォン・ブラントは、慶応3年3月に日本駐在の代理公使に昇任し、江戸に出て幕府と交渉するとき、ここを宿舎とし、事務を執りました。そこで、ここが江戸におけるプロシア公使館となりました。 公使館として使用された建物は、本堂続きの127坪(419.1㎡)および山寄りの51坪(168.3㎡)の建物であったという記録が残されています。 昭和50年(1975)1月 (平成21年〔2009〕1月建替) 港区教育委員会 PR |
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永山
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