東京都港区の歴史
× [PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。 所在 東京都港区赤坂8-11-32 乃木公園附近は、江戸時代の初期、青山常陸介忠成が徳川家康の命をうけ、馬を乗り廻して賜わった土地で、力尽きて死んだ馬の塚を築き、駒留八幡といったという伝説がある。青山氏の敷地は現在の南北青山および赤坂7,8丁目を含む広大な地域であった。 江戸時代末期このあたりは美濃郡上藩青山大膳亮(あおやまだいぜんのすけ)の邸地で、明治維新後この一帯は新坂町と呼ばれ、名士の邸宅街となった。 陸軍大将乃木希典は明治12年(1879年)この地を買い求め、明治35年(1902年)新築をした。大将は大正元年(1912年)9月明治天皇のあとを追い、夫人静子とともに自害して果てた。邸宅はその遺言により東京市に寄付され、整備ののち公園として開園された。現在では、旧乃木邸を含めて区立公園として管理している。 赤坂地区総合支所地区協働推進課 ひねり・うねり・まがれ(Hineri・Utsuri・Nagare) 1996 津久井利彰1935-(TSUKUI Toshiaki 1935-) PR |
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永山
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男性
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