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東京都港区の歴史
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所在地 東京都港区浜松町1-13-1

 この地は明治元年(1868年)から明治4年(1871年)まで慶応義塾の在った処である。福沢諭吉は築地鉄砲洲に在った家塾をここに移し、新たに塾舎を建て時の年号に因んでこれを慶応義塾と称した。あたかも明治維新の変乱に際し国中また文事を顧みる者のなかった時、この塾に集まった福沢以下の少壮学徒は、自から信ずる文明の主義に據って学問の独立を護り、わが国文運の命脈を一日も絶やすことかなかった。

 明治4年(1871年)慶応義塾跡を譲り受けた攻玉社は築地一橋邸跡から越して来て大正14年(1925年)西大崎に移るまでこの地で学校を経営した。創立者近藤真琴は和魂漢洋才、質実剛健、礼譲を重んじ誠意を旨とするを理想とし、中壮年部では英漢数の三科を主として海軍兵学校入学志願者を養成し、又他の上級学校進学希望者の為に歴史、地理、物理、化学等の諸科をも教授し後之を中学校に改めた。更に明治12年(1879年)創設した陸地測量習練所は後量地黌ー土木科ー工学校及び高等工学校と改称し土木工学の基を開いた。この外幼年部、女子部、商船黌 、専修数学科も或る期間設けられていた。

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