東京都港区の歴史
× [PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。 所在地 東京都港区芝公園4-7-35 (増上寺) 港区有形文化財(建造物) 鋳抜門(いぬきもん) 平成9年(1997)3月11日登録 増上寺は徳川将軍家の菩提寺として、かつては二代秀忠の霊廟を中心とした南廟(現在のゴルフ場敷地)と六代家宣・七代家継の霊廟を中心とした北廟(現在の東京プリンスホテル敷地)があり、その華麗さは日光東照宮を凌ぐとさえいわれていたが、昭和20年(1945年)3月の東京大空襲によりその大半が焼失した。昭和33年(1958年)に実施された改葬により、徳川家の墓所は安国殿裏手のこの一画にまとめられた。 増上寺の南西には九州の有馬や島津の藩邸があったため 「西国の果てまで響く芝の鐘」 「てもさても諸国へ響く芝の鐘」 などの句もあり、当時の江戸の人々の自慢も、実感を伴っていたことがうかがわれます。 平成4年(1992)3月30日 港区教育委員会 PR |
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永山
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