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東京都港区の歴史
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所在地 港区六本木4-9-7先

第一回六本木祭の開催を記念して素材混凝土像毀損著しき為
再度 本郷新先生に懇請
新たに 青銅像として之を完成す。
 昭和50年(1975)5月9日
 六本木商店会々長 青野 次郎



 その昔、縁深い武蔵野の東南に年経た六株の松が聳える小高い丘があった その松はどこからでも見えたのでいつとはなしに人々はこの土地を六本木と呼び慣れ それがそのまま地名になったと言い伝えられる もとはわびしい叢に道行く人も稀であったが、寛永年間 佛寺五院が創立されるとその門前に商家も集い やがては瓦もいかめしい大名屋敷が立ち並ぶようになった 延宝から大正迄幾度となく行った道路拡張で交通が便利になると このあたり一帯は人馬の通いも繁くなり おのずから賑わいを増していった。そして明治の代 隣地に兵営が置かれるに及んで土地の繁栄は一層めざましくみなぎる活気のうちに昭和に入ると 山の手でも指折りの盛区に数えられれるようになった。 だが一方昔ながらの静かな趣はガス燈の青いかげにも残り六本木、三河台両町には都内での有数な高級住宅が営まれて華やかな商店街と映り合い色彩ゆたかな町としての誇りを見せていた。
 昭和20年(1945)5月22日 太平洋戦争の災禍はこの町をも見舞い美しい町並も樹も一夜のうちに灰燼に帰したが翌昭和21年(1946)戦災都市復興計画は、焼け朽ちた郷土をいたみその再建を夢見る町民の進んで協力するところとなりその熱意は麻布第一復興土地区画整理組合の結成となってあらわれた。そして子安英男を組合長として昭和22年(1947)6月より事業を開始したが当初は終戦直後の混乱期に当り町民の生活もゆらぎ勝ちで百年の大計を樹てようとする区画整理は遅々として進まなかった。しかし幸に関係者の撓ゆまぬ努力と理解或る町民の力強い援助によって苦しみを超えて歩んだ7年の歳月の流れは、今ここにようやくその事業の完成をもたらしたのである。
 この記念に 平和と協力とを象徴する本郷新氏の労作を請い得てこれを街角に見る喜びと共にこの地のささやかな歴史を併せて記し 後の世の人に伝える次第である。
 昭和29年(1954)4月
 麻布第一復興土地区画整理組合
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