東京都港区の歴史
× [PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。 所在地 東京都港区芝公園4-8 (芝丸山古墳) 伊能忠敬先生は1745年(延享2年)上総國に生れて下総國佐原の伊能家を嗣ぎ村を治めて後50歳のとき江戸に出て高橋至時のもとで天文暦教の学を究めた。先生の卓見と創意とによる測地測量は1800年の蝦夷地奥州街道の實測を始めとして全國津々浦々にまで及び1818年(文政元年)江戸八丁堀で74歳をもって歿するまで不屈の精神と不断の努力とによって続けられわが國の全輪郭と骨格とが茲に初めて明らかにされるに至った。 その偉業は引きつがれて1821年大中小の大日本沿海輿地全圖が完成せられその精度の高きことは世界を驚嘆せしめた程であり参謀本部測両局の輯成二十万分一地圖は實にこの伊能圖を骨子としたものである。 東京地学協會はその航跡を顕彰して1889年この地に贈正四位伊能忠敬先生測地遺功表を建設したが不幸にして第二次大戦中に失われるに至った。扔つて今回各方面の協賛を得、この碑を再建した次第である。 1965年5月 社団法人東京地学協會 會長細川護立 PR |
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永山
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