東京都港区の歴史
× [PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。 所在地 東京都港区愛宕1-5-3 (愛宕神社) 万延元年(1860年)に水戸の浪士がご神前にて祈念の後、桜田門へ出向き大老井伊直弼を討ちその目的を果たした世に言う「桜田門外の変」の集合場所でした。 櫻田烈士愛宕山遺蹟碑 東京市長 大久保留次郎書 此ノ地ハ萬延元年三月三日昧爽水戸藩士斎藤監物 関鐵之介 佐野竹之介 黒澤忠三郎 大関和七郎 廣岡子之次郎 山口辰之介 森五六郎 岡部三十郎 鯉淵要人 稲田重蔵 杉山彌一郎 蓮田市五郎 森山繁之介 廣木松之介 増子金八 海後磋磯之介 薩摩藩士有村次左衛門等天下ノ為ニ幕閣ノ大老井伊直弼ヲ斃サントシテ勢揃ヲ為セル處ナリ 抑々櫻田事變ナルモノハ水薩ノ志士協力シテ井伊大老ヲ斃シ後直チニ京都ニ結集シ 至尊ヲ奉シテ天下ニ大義ヲ唱ヘントシタルモノナリ 金子孫次郎 高橋多一郎ノ二領首ハ機ヲ逸セス京阪ニ赴キシモ事ハ齟齬シテ薩兵来ラス終ニ金子ハ京都伏見ニ捕ヘラレ高橋ハ其ノ子庄左衛門ト共ニ大阪四天王寺ニ居腹ス 然リト雖モ斯ノ一擧遂ニ克ク三百年ノ幕府政治ヲ倒壊セシメ以テ皇政維新皇国興隆ノ新體制ヲ招来スベキ導火線タルノ偉功ヲ樹タリ 然ルニ世人櫻田門ノ史蹟ヲ知ルモ事前ニ於ケル烈士愛宕山上勢揃ノ事蹟ニ至ツテハ■乎トシテ之ヲ識ル者ハ殆ト殊ナリ吾人其ノ遺蹟ノ湮滅ニ歸セントスルヲ慨シ此ニ碑ヲ建テ来者ニ諗クルアラントス 皇紀二千六百一年三月三日 建之 櫻田烈士遺跡顕彰會長 三木哲次郎 故貴族院議員 室田義之 貴族院議員 徳富猪一郎 財団法人多摩聖蹟記念會長 長尾欽彌 芝區有志 茂又四郎介 同 茂又幸雄 大東文化學院教授文學士正四位 峰間信吉撰 金子孫次郎孫法學士 金子榮一書 PR |
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